うお座
自分だけの天使を見つける
天使と気配
今週のうお座は、『ベルリン・天使の詩』という映画のよう。あるいは、「自分は守られているのだ」という無意識的な感覚を、確かな実感へと変えていこうとするような星回り。
天使というと、背中に小さな羽根をつけた裸の幼児や、透き通るような羽衣を身に着けた天女のような女性が連想されますね。
でもこの映画の天使たちはロングコートを着た中年男性で、彼らは廃墟の上や教会の尖塔の上から地上の人々を見守り、互いに情報交換しながら人々に寄り添い、彼らの心の声に耳を傾けています。
彼らの目にはすべての風景はモノクロに映り、子供には彼らの姿が見えますが、大人には見えません。
物語はそうした天使のひとりダミエルが、人間の女性に恋をして、天使の身分を捨て人間になろうと選択することから動いていくのですが、ここでは割愛します。
監督のヴィム・ベンダースはベルリンの街のあちこちに見られる天使像に魅せられ、この作品を制作したと言われていますが、ある意味でそうしたヴェンダースの心に強い印象を残したベルリンの風景は、今のあなたの心象風景ともどこか通じていくように思います。
これを読んでいるあなたは大人でしょうから、きっと天使の姿は見えないはず。
けれど、その気になりさえすれば、天使の臨在のかすかな気配や片鱗のようなものを見つけることができるはず。
案外、天使というのは人間臭い顔をして、しれっとあなたのそばに寄り添っていたりするかもしれないのです。
クレーと天使
ドイツ系スイス人の画家のパウル・クレーは、晩年にシンプルかつ抽象的な線で詩情豊かに多くの天使の絵を描いたことでも有名ですが、ある論者の言葉を借りれば、彼にとって天使とは「傷つきやすさと極端な脆さを持ちながら、われわれ人間を保護する神的な存在」のこと指しているのだと言います。
今度は彼自身の言葉を見ていくと、第一次世界大戦がはじまって間もなく、自身の日記に次のように書きつけています。
「この世に生きるべく作動していたわが心臓は、とどめをさされて息果てんとしていた。私は考えた。<これらの>ことと私とを結ぶものは、ただ思い出に過ぎなくなるのだ。」
「私はこの肉体を捨て去り、いまや透明な結晶体となるのだろうか」
「(自分の描くのは)人間という種とか類ではない。宇宙の座標といったらいいだろうか」
こうした言葉を読むとき、そこには宇宙的な透明感とやさしさとを感じると同時に、まさにクレー自身が先の論者の語った天使のように思われてくるのです。
あなたの身近にもそんな人や存在が、1人くらいは見つかるのではないでしょうか。
今週のキーワード
小さな守護神