てんびん座
よく選ばれた夜の世界
孤独な良夜を準備する
今週のてんびん座は、深夜ラジオの時間のごとし。あるいは、精神の根をゆっくりと良質な孤独の深みへと下ろしていこうとするような星回り。
「タイパ」や「コスパ」の波が生活や人生のあらゆる場面にまで及んでいる現代では、血の通った人間としての健全さを保っていくうえで、精神に休息を与える習慣ほど大切なものはないはず。そして、肉体に休ませるには睡眠や入浴が欠かせないように、精神が休息に入っていく際にも、そのきっかけにあたる営みが欠かせません。
例えば、20世紀に生きた思想家ガストン・バシュラールは「ラジオ」的なるものこそ、その大役にふさわしいとして、「ラジオは聴取者に絶対的な休息の印象、根を下ろした休息の印象を与える」と述べた上で、次のように続けています。
人間は移植されることもありうる植物だが、それでもつねに根をおろすことを必要としている。(…)ラジオは、このような原型を伝える可能性を備えているだろうか?その目的のためには本の方が適しているのではないか?いや、おそらくは違う。本というものは閉じられたり開かれたりして、人を孤独のうちに見出すようにも、人に孤独を課すようにも出来てはいない。
反対に、ラジオは確実に人に孤独を課す。(…)自分のなかに安らかさを、休息を置くことがそこでは権利でも義務でもあるような一室で、独り静かに、宵の時間に聴く必要があるだろう。ラジオには、孤独のなかで語るに必要な一切のものがある。ラジオに顔は要らない。(『夢みる権利』渋沢孝輔訳)
なるほど、確かにラジオでは聴き手にとって「華やかに眼を射るものもなければ、娯楽になるようなものでもない」代わりに、音や声を通じて「「無意識」同士を一心同体化せしむる手段」としての孤独な良夜を準備してくれます。こうしたラジオの果たす役割について、バシュラールは最後にこう結んでいます。
ラジオは、不幸な魂、暗鬱な魂たちに夜には告げてやらねばならぬ、「問題はもうこの地上にかかずらいながら眠ったりはしないこと、きみが選ぼうとしている夜の世界に戻ってゆくことなのだよ」と。
11月1日にてんびん座から数えて「実存」を意味する2番目のさそり座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、ラジオ的な時間の流れがもたらしてくれる孤独な良夜を、自分のまわりに構成し直してみるといいでしょう。
フィクションの役割
『干物妹!うまるちゃん』というテレビアニメのエピソードの中に、主人公である「土井うまる」が同居する兄に内緒で、夜のコンビニに買い物に行くシーンがあります。
まだ高校生になったばかりのうまるにとって、深夜の外出はそれだけでちょっとしたスリルと危険を伴うものなのですが、いつもの通学路が夜になるとまるで別世界の様相を呈していることに気付いたうまるは、戸惑いながらも新鮮な驚きと発見にみちた夜の冒険へと次第にのめり込んでいきます。こうした「夜をかける少女」的なイメージは、どこか根源的なところで私たちの胸をときめかす力がありますが、それは一体なぜなのか。
振り返ってみれば、90年代には未成年の少女が夜の街を出歩くだけで援助交際目的を疑われて声をかけられることがありましたし、ネット上の怖い話や江戸時代の怪談などでは、真夜中に女性が道を歩いていれば、それはこの世のものではないことは半ば常識でした。
そう考えると、先のシーンは、現実世界において長らく女性たちが持ちえなかった権利、悲願でもあったと同時に、安全な現実世界に「引きこもり」がちな男性主体を彼岸へと連れ出すためのフィクションとして機能していたのだということが分かってきますし、その意味でバシュラールが論じたラジオの機能とほとんど同じなのではないでしょうか。
今週のてんびん座もまた、ラジオであれ少女であれ、停滞しがちな日常や人生に流動性をもたらしてくれるものをこそ、改めて見極めていくべし。
てんびん座の今週のキーワード
権利でも義務でもあるような良夜を