てんびん座
いっそひらりと
春の蝶のごとく
今週のてんびん座は、『蝶死にて流るる水を今も踰ゆ』(石田波郷)という句のごとし。あるいは、心の被膜に貼りついて離れない記憶に相対していくような星回り。
「松山帰省十句」のなかの第五句目。戦時中は結核で戦地に赴くことはなかった人ですが、だからこそ、死んでいった同胞たちへの思いもひとしおだったのかも知れません。
「今も」という言葉に込められているのは、戦禍の記憶とともに、「われだけが生き残って」の感慨でしょう。水の上を流れゆく死蝶とは、言わば忘れようにも忘れられないそうした過去の亡霊であり、共に死ぬべきだったと語りかける自分自身に他ならない。
それを作者は今も、明日も、明後日もきっと超えてゆかねばならない。したがって、どれだけ月日が流れても、「今」という語は動かないのです。しかし、ではここには悲哀と悲嘆しか存在しないかと言えば、そうではない。むしろ、そうして離れがたい過去をえいやと断つ「今」の一瞬において、その跳躍はさながら輝く春の蝶のごとく、ひとつの句となって生命を得るのではないでしょうか。
15日にてんびん座から数えて「歩幅」を意味する3番目のいて座で下弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、超えるべき一線を然るべき仕方で超えていくべし。
文脈が外れ漂い始める
誰にでも一世一代の跳躍というものがあるものですが、それは必ずしも長い距離や期間を伴なうものではないのではないでしょうか。どれだけ遠く長く、異国の地へと足を伸ばしたとしても、ただの旅行や移動に過ぎなかったということはよくある話ですし、よくも悪くも、そのような跳躍は二度とできないし、「もう取り返しがつかない」という感覚のあるなしが、やはり一世一代の跳躍であるか否かを決めていくように思います。
あるいはそれは漂流体験にも似ているかも知れません。いつも何かしら積み荷を積んでは運んできた船は、仕事や義務や必要や要請という文脈を外されると、とたんに行き場を失ってしまうことがある。
それでも、波や風はやさしく静かに船体をどこかへ押し流していきますし、最初は不安や心許なさで身動きできなかった船も、やがてこれまでとは違う海を進んでいくような解放感を覚えるようになっていき、それが当たり前になった頃、船の佇まいは以前とは全く別ものへと変わっている。今週のあなたにも、そうした漂流体験へと接続していくような波が押し寄せてくるかも知れません。
てんびん座の今週のキーワード
積み荷のない船