てんびん座
出せるものは出していこう
アホなふりして優位に立つ
今週のてんびん座は、「見られる芸能」から「見せる芸能」への転換のごとし。あるいは、これまでなんとなく受動的にさせられていたことを、どうにか主体化していこうとするような星回り。
負けた側である海幸彦が買った側の前で、自分たちが負けた様を演じることを命じられた古事記の神話にそもそものルーツを持つ芸能の歴史というのは、芸能者が一方的に「見られる」という状況を、どうにかして「見せる」ものへと変えることで主体化していこうという試みの歴史だったのだと言えますが、その大きな転換点の1つが能を集大成した世阿弥だったのではないでしょうか。
例えば、「芝居」という言葉にあるように、かつて芸能は文字通り芝の上、つまり地面や床で芸をさせられ、それを上にいる観客たちに「見られ」ていた訳です。しかし、世阿弥は「能舞台」という装置を発明することで、舞台の上で芸能者が舞い、それを下にいる観客たちに「見せる」という関係へと逆転させてしまった訳です。
もし観客から「おい、偉そうじゃないか」と文句を言われても、「そのほうが見やすいですから」と答えれば、それに返す言葉はありません。こうして芸能は不当な差別や軽視を受けている側が、「見られる」ことを逆手にとって、いつの間にか優位に立っていくための逆転手段となっていったのです。
同様に、9月10日にてんびん座から数えて「奉仕」を意味する6番目のうお座で満月を迎えていく今週のあなたもまた、おだてられていい気になったり軽視されてカッとなったりするのとは逆の動きしていくことで、つとめて老獪に立ち回っていくべし。
自意識の置きどころ
たとえば、何らかの分野でそれなりの存在感を発揮している表現者というのは、概してみな自意識が強いものですが、大別するとその自意識を隠したいと思って隠せないタイプと、隠さずに自己顕示していくタイプのどちらかに分かれていくように思います。
逆に言えば、自意識がほとんど感じられない「普通の人」然とした顔でい続けられる表現者やその道のプロというのは、とっても珍しいのではないでしょうか。けれど、そうして何でもない顔をしてごく自然なふうに自らの傷つきやすさや悔恨、惨めさを垣間見せられる表現者というのは、ひとつの理想形と言えるでしょう。
詩の世界であれば、まどみちおさんや谷川俊太郎さん、短歌であれば俵万智さんなんかは、そのタイプの天才だと思いますが、それらの人に共通しているのは、自分の未熟さに怯えていないような空気感と言えるかも知れません。なぜ、怯えていないんでしょう?
何かそこに、いまのてんびん座の人が思い出していくべき大切なものがある気がします。
てんびん座の今週のキーワード
一芝居打つ