てんびん座
兆候と理想のはざまで
おのれが生きるべき世界とは
今週のてんびん座は、会田誠の『セカンド・フロアリズム宣言』のごとし。あるいは、結果や効率を追求するのとは真逆の方向へと振れていこうとするような星回り。
2018年2月に青山で開催された「GROUND NO PLAN」展の展示場には、コンクリートの瓦礫が散乱しており、その瓦礫のあいだには何冊もの六法全書が打ち捨てられていました。会田は、その「宣言」のなかで、われわれには二階建てよりも高い建物がもはや必要ではないし、そうした建物の破壊は法そのものの廃棄に通じると訴えたのです。
大手ゼネコンの大林財団が始めた助成事業「都市のヴィジョン」に選出されたこの展示の目的は、「従来の都市計画とは異なる視点から都市におけるさまざまな問題を研究・考察し、住んでみたい都市、新しい、あるいは、理想の都市のあり方を提案・提言」することにあるそうですが、3.11およびフクシマでの原発事故以後の時代状況を会田は、明らかにこれからの都市の在り方をめぐるビジョンを「文明そのものの終焉」から見据え直そうとしていたのでしょう。
文明以前、私たちにとって生きることとは兆候を読みとることと等しく、そこでは日々、空をあおぎ、草木の揺れや風のながれ、その匂いや湿り気、遠くの音や近くの音の変化を聴き取ることで、知覚と想像を結びつける工夫を凝らしてきた訳ですが、今ではあまりにそうした営為をたくましくしてしまえば、おのずと世間や周囲から狂人の烙印を押されるようになってしまった訳です。
その意味で、7月29日にてんびん座から数えて「中長期的な視点」を意味する11番目のしし座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、いったん自身の物事の見方を文明以前に戻すべくリセットを試みてみるといいかも知れません。
レトロトピアの出現
約500年前にトマス・モアは「まだどこにも存在しない未来の理想郷」としての『ユートピア』を構想し本にしましたが、社会学者のジグムンド・バウマンは現代においては、やはりそうしたモア的なユートピアを二重に否定した「レトロトピア」すなわち、もはやどこにも存在しない過去の理想郷が人々のなかに出現しつつあるのだと喝破しました。
つまり、まだ到来していないがゆえに存在しない未来と結びついて存在していたものに代わって、失われ、盗まれ、投棄されてはいるものの、完全に死んではいない過去の中から複数のヴィジョンが出現し、それが積極的に自分たちの生きるべき世界として選択し直されているのだ、と。
これは先の会田の展示にも通じるところがありますし、現在のような極端な貧富の格差の広がりが放置されているような状況が、人々のメンタリティに及ぼす影響のほどについて考えれば、自然な流れでもあるようにも思います。確かに、このまま社会が過酷な競争原理の働きや人間関係を解体する無縁化の荒波を解消できなければ、慢性的な不安状態に陥った人びとは、自己を脅かす他者が存在せず、そもそも自他の区別さえも曖昧な自己充足状態をもとめて、ますます過去への憧憬やノスタルジアが広がっていくのかも知れません。
今週のてんびん座もまた、ひとりの“時代の子”として自分がどのような社会を望んでいるのか、いつも以上に浮き彫りになっていきやすいはずです。
てんびん座の今週のキーワード
知覚と想像を結びつける工夫を凝らすこと