てんびん座
予定調和を免れる
時代の波に揉まれて
今週のてんびん座は、『夏みかん酢つぱしいまさら純潔など』(鈴木しづ子)という句のごとし。あるいは、精神的な純潔を胸に秘めていくような星回り。
夏みかんの酸っぱさに顔をしかめながら、自分の来し方行く末をどこかぼんやりと思い巡らせている姿が浮かんでくる一句。このとき作者は32歳。
27歳のときに婚約者の戦死の報についで母の死を知り、翌年職場の男性と結婚するものの妊娠と堕胎、そして離婚、離京を1年足らずで経験し、その後叔母をたよって移住した岐阜でダンサーとして働くうちに駐留米軍兵と恋に落ち、一緒に暮らすようになった翌年にこの句は書かれています。
「純潔など」という表現は自虐的ではありますが、こうした生き方こそが自分の生き方なんだという無言の主張のように感じられます。作者はその遍歴から「堕ちた女」というイメージがつきまとい、掲句もそうした文脈で捉えられがちですが、そうした世間一般の「純潔さ」をめぐる陳腐な観念に対して突き放したくなるような気持ちも透けて見えます。
おそらく、ここで言う「純潔」とは道徳的な意味での「神聖な処女性」などではなく、むしろ自分に正直にしか生きられない、どこまでもまっすぐな精神の在りようのことを言っているのでしょう。
その意味で、7月7日に自分自身の星座であるてんびん座で上弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、年齢や世間からの目など気にすることなく、できる限りみずからの美意識に正直に生きていくべし。
村上春樹『パン屋襲撃』の主人公の場合
腹を空かした「僕」と相棒がパン屋を襲撃しようとする。その本質はどこにあったのか。後に書かれた続編作品において、なぜパッとしないパン屋を選んだのかと妻に聞かれた「僕」は、次のように答えています。
自分たちの飢えを充たしてくれるだけの量のパンを求めていたんであって、何も金を盗ろうとしていたわけじゃない。我々は襲撃者であって、強盗ではなかった
けれど、そんな襲撃は「成功したとも言えるし、しなかったともいえる」結果で終わります。僕と相棒は「パンを好きなだけ手に入れることができた」が、「強奪しようとする前に、パン屋の主人がそれをくれた」。
「もしパン屋の主人がそのとき」「皿を洗うことやウィンドウを磨くことを要求していたら」断固拒否してあっさり強奪していただろうが、主人は「ただ単にワグナーのLPを聴き通すことだけを求め」、この提案に僕らは「すっかり混乱して」しまい、その後「ちょっとしたことがあって」彼らは別れ、二度とパン屋を訪れることはなかったのでした。
この小説の時代設定は70年代頭、強奪の代わりに労働による等価交換へと若者の興味が移っていった社会の中で、あえて彼らは強奪を試みながら、「社会」の側に一枚上手の対応をされて懐柔されてしまったのだとも、あえてそこに身を委ねたのだとも言えます。
今週のてんびん座もまた、ひとりの「僕」としていかに社会や時代が突きつける問いに返答していくべきか、そしてそこに果たして貫いていくべき「純潔など」あるのか、改めて突きつけられていくはずです。
てんびん座の今週のキーワード
美しい獣