てんびん座
みずからとおのずから
「素足愉しむ日」
今週のてんびん座は、「家にゐて素足愉しむ日なりけり」(鈴木しげを)という句のごとし。あるいは、ここのところ失われていた余白を取り戻していくような星回り。
出勤の日や、外に出て済ませる用事があるときなどは、靴をはかなければならない。外に出ないで済んだり、靴をはかなくてもいい日は、それだけでうれしい。
とはいえ、ステイホームで在宅ワークに追われることも増えてくれば、それはもう「素足愉しむ日」とは言えない。「素足愉しむ」とは、自分が健康でいるのをひそかにふかえって喜ぶ境地であり、そのためには社会的にも、身体的にも、そして精神的ないし霊的にも、それなりの余白があったほうがいい。
思えば、子供の頃に夏休みが無性にうれしかったのは、宿題やらお稽古やらで普段すっかり奪われてしまっていた、圧倒的な余白を取り戻すことができたからだったのではないでしょうか。
自分の足の裏で直接踏みしめる畳や庭の感触を味わってみること。それ以外は、他に何か豪華な物が欲しいわけでもなし。掲句はそんな気分をさりげなく詠んでくれているように思います。
22日夜にてんびん座から数えて「童心」を意味する5番目のみずがめ座で迎える満月から始まっていく今週のあなたもまた、ぎちぎちに固めたウェルビーイングをすこし遊びをもたせて、ゆるく結びなおしてみるといいでしょう。
山田詠美『ぼくは勉強ができない』の会話
あんたは、すごく自由に見えるわ。そこが、私は好きだったの。他の子みたいに、あれこれと枠を作ったりしないから。でもね、自由をよしとしてるのなんて、本当に自由ではないからよ
この小説の主人公である高校生の秀美くんは、彼女の言葉を受け止めつつ、こう考えます。
もしかしたら、ぼくこそ、自然でいるという演技をしていたのではなかったか。変形の媚を身にまとっていたのは、まさに、ぼくではなかったか。ぼくは、媚や作為が嫌いだ。そのことは事実だ。しかし、それを遠ざけようとするあまりに、それをおびき寄せていたのではないだろうか。人に対する媚ではなく、自分自身に対する媚を。
そして最後に、こう結論づけるのです。
人には、視線を受け止めるアンテナが付いている。他人からの視線、そして、自分自身からの視線。それを受けると、人は必ず媚という毒を結晶させる。毒をいかにして抜いて行くか。ぼくは、そのことを考えて行かなくてはならない。
今週のてんびん座もまた、もしかしたら秀美くんのように、学校の勉強とは違った「勉強」をしていくことになるかも知れません。
てんびん座の今週のキーワード
莫妄想(妄想することなかれ)