しし座
葬られた星のような
齢を刻む
今週のしし座は、幼虫の脱皮と脱皮の間の段階を表す「齢 instar」という言葉のごとし。あるいは、もがき回りながらも着実に自身の大変容に備えていこうとするような星回り。
レベッカ・ソルニットの『迷うことについて』には、蝶の一生について綴った名文があるのですが、そこでは形態の大々的なメタモルフォーゼを伴う幼虫の蛹化や成虫への羽化についてだけでなく、それほど劇的ではない変化について言及したくだりがあります。
幼虫は繰り返し皮を脱ぎ捨て、齢(れい)を刻みながら育つ。何度脱皮を経ても幼虫はその幼虫のままだが同じ皮の下にあるわけではない。ほとんどの変化には晴れがましくはっきりした称賛があたえられることはないけれど、卒業や教化の感性やもろもろの変化に際したセレモニーのように、そうした節目を徴づける儀礼もある。
古の時代から「蝶」は人間の魂(プシュケ)を象徴と考えられてきましたが、それ以前の姿から丸ごと脱け出していくような決定的な変容というのは、その過程をきちんとたどっていくなら、その大半は宝塚のスターが舞台上に登場してくる時のようなドラマチックで優美なものなどではなく、こうした地味でほとんど停滞ないし立ち往生行しているように見えるものなのではないでしょうか。ソルニットは先のくだりの後にこう続けています。
齢という言葉には、天上的であると同時に内向的で、天国のようでありながら破滅的なな、そんな響きがある。たいていの変化というものはそんな葬られた星のような、遠くと近くの間で揺れつづけるものなのかもしれない。
12月1日にしし座から数えて「再誕」を意味する5番目のいて座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、地を這い回りながら環境の中での自分の立ち位置を必死に把握していく芋虫になったつもりで過ごしてみるといいでしょう。
不完全の美
どんな人間であれ、神の視点からすればこの世にすっと誕生したかと思えばあっという間にまたあの世へと帰っていく、蝶と同様ひどくあっけなくはかない存在です。
ともするとネガティブな印象を抱きやすいこうした「はかなさ」について、例えば岡倉天心は「真の美はただ不完全を心の中に完成する人によってのみ見出される」(『茶の本』)という言い方で肯定的に捉えていこうとしました。
「はかなさ」とはこうした自分や人生の不完全さを感得しつつ、それを想像力の働きによって完成させる、日本人がその長い歴史を通して育んできた美意識の要諦であり、彼が茶の本質とした「人生という不可解なもののうちに何か可能なものを成就させんとするやさしい企て」という定義もまた、そうした美意識と表裏の関係にありました。
しし座の人たちはともすると完璧主義をこじらせてしまいがちですが、今週のしし座に関しては、むしろ岡倉的な「不完全の美」ということを、自分なりの文脈でいかに体現していけるか/いけないのかということが鋭く問われていきそうです。
しし座の今週のキーワード
遠くと近くの間で揺れつづける