しし座
コント:ムーミン一家
非近代的家族
今週のしし座は、ムーミン的なつながりのごとし。あるいは、「家族」というものの在りようや形をめぐって、ありきたりな固定観念から脱していこうとするような星回り。
フィンランドの作家・画家トーベ・ヤンソンの『ムーミン』シリーズは日本でもアニメ化され大変な人気を博し、いまだに根強いファンがいますが、その魅力のひとつに登場人物のつながりの形があったように思います。
物語の中心はムーミン(ムーミントロール)とその父(ムーミンパパ)、母(ムーミンママ)からなる狭義のムーミン一家ですが、しかしその境界線はきわめて曖昧です。たとえば『たのしいムーミン一家』では一家のうちにスノークやその妹、スニフ、ヘムレンさん、じゃこうねずみ、スナフキン(ただし家の外のテント泊まり)が暮らしていたり、『ムーミン谷の十一月』ではそもそも一家は不在で、他の登場人物たちが家で彼らの帰りを待っていたりするのです。
このようにムーミン家にはつねに家族のほかに居候のような他の登場人物がいたり、途中でミィが養子として加わったりなど、家族の形がその時々で流動的で、しかもそうして住人が増えたり減ったりすることについて、なぜどうしてなどといちいち説明もありません。
それはムーミン一家が、家族愛に基づいた(ものと見なされている)父、母、実子によって構成される「近代家族」とは対照的な、非近代家族的な要素をたぶんに持っているということの証左でもある訳ですが、それは言い換えれば、固い絆で結ばれた安定的な関係の“ふり”をしていないどころか、不安定な大人の姿や関係の移ろいやすさがそのまま示されていた訳です。
その意味で、8月2日にしし座から数えて「他者との関わり」を意味する7番目のみずがめ座で満月を迎えていく今週のあなたもまた、「父だ」「母だ」「子どもなのだから」などと定形的な役割に自分や相手を固定しようとするのではなく、もっと流動的な仕方で身近な人間関係を捉え直してみるといいかも知れません。
稲垣足穂の「オブジェクティブ・コント」
稲垣足穂の処女作にして代表作である『一千一秒物語』は、四辻を横切った影がふいに消えたとか、誰もいないはずの部屋にシガーの香りが微かに残っていたとか、よく見ると月が金貨だったとか、そういうちょっとした微妙な出来事や気配のみを描いた数行の短い文章を集めた作品なのですが、それを「オブジェクティブ・コント」と呼んだ人がいました。
オブジェクティブの反対語はサブジェクティブ(主観的)で、そういう個人的な感情が一切入っていない、というより個人的であることができない領域では、すべてがある種の「コント(寸劇)」になるという訳です。
そう、私たちはえてして仕事を変えたとか、結婚したとか、そうでなくても、旅をしたり、特別な人物と出会ったりという大げさな出来事のなかで、なにか人生に意味が与えられるものと考えがちですが、あんまりそうして意味を追い求めすぎると、人生というのはだんだん窮屈になっていきますし、人間もどこか不機嫌になっていくのではないでしょうか。
その点、「オブジェクティブ・コント」は人間を「父」や「母」「長男/長女」などの特定の重すぎる意味から解放し、どうしたって近くに寄り過ぎた目のやりどころを、すこし遠くへと戻してくれるのだとも言えるかも知れません。その意味で、今週のしし座もまた、ひとつ寸劇をこしらえていくつもりで振る舞ってみるといいでしょう。
しし座の今週のキーワード
コントとしての家族劇