しし座
推しを発見した君へ
さかいめの人間どもの居場所かな
今週のしし座は、中世日本の遊民のごとし。あるいは、「いかに頑張るか」ではなく「どこへ逃げるか」に方向転換していくような星回り。
中世の河原には多くの人がそこに住み、役者や皮革業、死体処理、清掃、細工職人、庭づくり、遊女などが暮らし、彼らは「河原者」と呼ばれ、制度のすき間に生きていました。
江戸文化研究者の田中優子によれば、「河原は管理が及ばない世界」であり、「離農逃散して来ても、異国者であっても、河原に来れば生きることができ」ましたし、その「どこから来たかわからないし、いつどこへ消えゆくかわからない」在り方をもって「遊民」とも呼ばれ、その中には「離農民から僧侶、火消し、中小商店の旦那衆まで」含まれ、やがて「遊民の中から、物語を語るものたちが出現した」のであり、彼らは「さかいめ」の人間であるからこそ、河の向こうの世界を見ることができたのでした。
体と魂の力を抜いて、エロティックなことや、水のことや火のことや、生のことや死のことや、向こう側のことを考える場所が必要となる。河と河原がマザーなら、それは壊してならない「場所」だった。しかしもう、そんな場所は日本のどこにもない。
1月23日にしし座から数えて「社会貢献」を意味する10番目のおうし座で約5カ月間続いた天王星の逆行が終わって順行に戻っていく今週のあなたもまた、そんな失われた逃げ場所を、制度のすき間や過去と現在の差異のなかに改めて見出していくことがテーマとなっていくでしょう。
発見する営みとしての芸術
かつての離農民たちにとっての河原のように、それが何かしらの言葉であれ、概念であれ、作品であれ、それが存在しているだけでなぜだかありがたい。そう心から思わせるものには、あなたの魂の片割れが潜んでいます。
例えば、推しに大金を貢ぐ人が後を絶えないのは、単にコスパがいいとか経済的合理性ということを超えて、もっと「自分自身」を感じたいという根源的衝動から発していますし、河原が「さかいめ」に隠れていたように、自分自身の片割れを見出していくにはそれ相応の代償を支払わなければならないのです。
仮に芸術を「発見する営み」だとすれば、芸術的ではない人間というのは、自分には決定的に何かが欠けているという自覚もなく、大抵は周りにあてがわれた視界の範囲内の選択肢を選んでいるだけで、それ以外の選択肢すら必要としない、優秀で卒なくやれる人間のことを指すはず。
逆に言えば、芸術的であるということは、なぜだか“実”のすきまに隠れていた“虚”としての逃げ場所を探さずには正気でいられず、自分がより自分らしくなっていくことに高い代償を払えるということに他ならないのだとも言えます。その意味で、今週のしし座もまた、どこまで自分が芸術的な人間なのかということを問われていくことになりそうです。
しし座の今週のキーワード
魂の片割れとしての推し