しし座
真夜中に道はひらける
こちらは6月14日週の占いです。6月21日週の占いは諸事情により公開を遅らせていただきます。申し訳ございません。
「夜半の門」
今週のしし座は、「鮎くれてよらで過行夜半の門」(与謝蕪村)という句のごとし。あるいは、これでよし、と心から思える道をいくこと。
夏の夜遅く、門をたたいて友が訪ねてきて、たくさん釣ったからと言って鮎を分けてくれるわけです。しばらく寄っていけばと誘ったが、そのまま過ぎ行くままに帰っていった。
これは思いがけない贈り物に対しての喜びを表しているというより、どこか恬淡とした友情の在り様を強調しているんですね。
さっときて、トントントンと戸を叩いて、鮎をくれて、闇に消えていく。ちょうど夜中に夢を見るかのように、私たちの人生にも色々な出来事が起きてくるけれども、それもまた闇に消えていく。
人によっては、これじゃあまりに素っ気ないし、さみしいと感じる人もいるかも知れません。けれど、ここには交わされた言葉の裏に何の取引も、隠された意図もありません。ただ、自分の釣った鮎を友に分けてあげたいという思いを実現したに過ぎず、そこでお返しを期待している訳ではない。この世のどんな現実や常識にも規定されない、そんな友情こそが何よりの宝物じゃないか、と。そんな風に感じていたのではないでしょうか。
18日にしし座から数えて「既に与えられているもの」を意味する2番目のおとめ座で上弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、自分のたなごころの中に既に握られていたものの価値に改めて気付いていくことができるかも知れません。
「同行二人」
この言葉は四国の霊場巡りの際に袈裟に書きつける言葉で、たとえ一人ぼっちの巡礼であったとしても、弘法大師が一緒に回ってくれるという意味なのだそう。法華経に「唯仏与仏」という言葉が出てきますが、これもやはりいかなる時でも自分ひとりではなくて、仏が仏に会っているのだと言うのです。
人は、一説によれば一日に6万〜7万語もの言葉を脳内で浮かべているとも言われていますが、これも「同行二人」という立場に立てば、さながらひとつひとつの言葉が大河の一滴として、対話の機会がそこに流れ続けているのだとも言えます。
ただ、近代以降の世界では「私」というものを語るとき、どうしてもひとつの鉄の玉のように強固なアイデンティティーを理想として考えてしまうところがあり、「同行二人」などと言われても、自我が分裂して自分以外の声が頭の中で鳴り響いている、自分はおかしくなってしまったのではないか、という風に捉えられてしまうのではないでしょうか。
その意味で、今週のしし座は、できるだけ「私」の言葉に重なってくる息遣いやゆらめき、すなわちもう一人の自分からの呼びかけに応答していくことを心がけていきたいところです。
しし座の今週のキーワード
それはあなたに行き渡っていますか