しし座
共に在ることへ開かれる
天地人の相互貫入
今週のしし座は、「爛々と昼の星見え菌生え」(高浜虚子)という句のごとし。あるいは、既存の固定化された線引きを超越した世界を感じていこうとするような星回り。
昭和22年、作者73歳の時の句。季語は「菌」で秋の季語。「きのこ」と読ませますが、いささか不気味な印象で、「生え」という不安定な連用形の句末も、「昼の星」という本来見えないはずのものが見えてしまっている不思議さが重ねられているにも関わらず、しかしどこかありえそうな景でもあります。
実際には疎開先だった小諸での送別句会で、井戸の中にいて昼の星と菌を見たという人の話を聞いての即吟を作りなおしたもので、もともとは「昼の星見えしよりこの菌生え」という句でしたが、比較するとやはり掲句の方がずっとアニミズム的なものを感じさせ、記録者として柳田國男が作品として世に送った『遠野物語』を思わせます。
それは「爛々と」とという一言によって、「昼の星」という“天”と「菌生え」る”地”とのはざまで、他ならぬ<私>という”人”もまた妖しく輝き始めるからでしょう。
つまり、ここで<私>は「昼の星」でもあり「菌」でもあるという仕方で、相互貫入しながら意識はそれら全体へと拡張しているのです。
9月22日のしし座から「いきいきとした交流」を意味する3番目のてんびん座へと太陽が移っていく今週のあなたもまた、ただ事実を追うだけでも、分かり切ったパターンへと処理するでもなく、自分を新しい世界との関係へと開いていくことがテーマとなっていくでしょう。
彼らかそけき隣人よ
例えば、花の名前をあまり知らない現代人でも、アスファルトの隙間やガードレールの下など街や野原のあちこちで咲く青紫色のスミレくらいは判別がつくという人も多いのではないでしょうか。
とはいえ、足元でひっそりと咲くスミレの存在が、ふだん人々の意識のなかに主役として登場することはほとんどないでしょう。
大抵は脇役としてさえ認識されず、慌ただしい日常を流れ去る背景の一部として意識の底に沈められていく訳ですが、そうしてすぐ傍らに生きる自然や存在をどんどん意識の外へと捨象していくことこそが、日常が色褪せたものになっていく主な原因なのだということにも、ほとんどの人は気付いていません。
その意味で今週のしし座にとって、彼らかそけき存在とこの世界を共有しているという実感こそ、自分が生きて在るという現実を支えてくれているのだと再認識できるかどうかが、日常に鮮やかな彩りを取り戻していく上での分水嶺となっていくはずです。
今週のキーワード
見落とされがちなかそけき存在の前景化