しし座
童心に返るとき
体を世界に開いていく
今週のしし座は、「どこか隙ある人のごとくや五月富士」(植松とし夫)という句のごとし。あるいは、どうしたって“人間味”が溢れてきてしまうような星回り。
「五月富士」は旧暦五月の富士山であり、現代の暦なら6月ごろ、つまり梅雨時の富士のこと。七、八合目まで残っている残雪と、下界の新緑のコントラストは、冬富士のストイックな厳しさと比べると、どこか放心したような“緩み”を感じさせてくれます。
日ごろは一寸の隙も見せずにもくもくと仕事に取り組んでいるような人が、うっかりソファでまどろんでいる。その顔をふいに垣間見てしまったような、そんな印象を掲句の作者は抱いたのかも知れません。
そうした光景は、自然と見る者のからだを開かせ、大いなるものを受け止めていくだけに留まらず、そこに小さな自分が投げこまれていくかのような錯覚を起こさせるのです。
6月6日にしし座から数えて「童心」を意味する5番目のいて座で、満月を迎えていく今週のあなたもまた、まるで大人の殻を脱ぎすてて子どもに返ったかのように、無邪気さがピチピチとはねていくことでしょう。
はかなさと遊びと
以前、鎌倉文学館を訪れた際に「人生もまた一輪の花のようにはかないものであるならば、友よ、砂の上にぼくらの家を建てて、遊ぼう」といった一文を目にした記憶があります。
砂場で遊んでいる世代の子どもならば、無論そんなことをいちいち言語化して考えたり、会話している訳ではないでしょうが、なんとなくその場に居合わせた子どもらで実際に砂場や砂浜で大きな山をつくり、トンネルを掘って、そこから向こう側をのぞいていると、存在するもののはかなさと、それゆえの美しさのようなものが自然と共有されたように感じられる時があります。
そういう意味では、ときどき大人が子どもみたいなことをしたくなるのも、もっともなことなのかもしれませんね。
後先のことなど変に考える必要はないのです。俳句も遊び、宗教も遊び。それが希望である限り、どんなものであれ、あなたには遊びを追求していく権利があるのだということ。
遥かなる富士のもと、この世で思う存分、遊んでいきましょう。
今週のキーワード
緩み上手は遊び上手