しし座
海辺で待つ
津波と孤島
今週のしし座の星回りは、さながら『ドラゴンボール』の亀仙人のじっちゃんが住んでいそうな南の島のごとし。すなわち、消耗させられる関係性から離れていくことで、ピチピチになっていくような星回り。
孤島というのは、いつだって人間の無意識の混沌に漂う太古の赤子のようなものですが、例えばユングも『心理学と錬金術』において、睡眠薬による幻覚妄想として「海はすべてのものを呑みこみながらどっと陸に侵入する。そのあと夢見者は孤島にすわっている」と書いています。
これは津波のイメージでもありますね。
さながら、亀仙人のじっちゃんの住む小さな島は、津波後の世界そのものであり、あらゆるものが水に流された末、ぽつんとこの世界に置かれた<私>のメタファーとも言えます。
そこに住むのは、本来は海の生物であるはずの大きな亀と自分だけであり、それは海からの純粋な贈り物でもある訳ですが、何より彼はそこであらゆる水平線に向けて自由を開かれた海を持つことができる。
今週のしし座には、そうした光景に向けて漂っていこうとする本能的な衝動のようなものを感じます。
寄物を待つ
柳田國男は海辺に漂着してくるものを「寄物」と呼んで、そこから日本人にとってのあの世の観念を浮き上がらせようとしました。つまり、海から岸へ贈られた寄物こそが、この世とあの世のつながりや交信の手がかりになると考えたわけです。
狭い湾内にクジラが紛れ込んでやってくると「寄鯨(よりくじら)」と呼ばれ捕まえられて、必ず村人に分配されたそうですが、これも「寄物」はあの世からこの世への贈り物であり、所有者のいない無主物ですから、誰かが独占してはならず、平等にその恩恵に授かるべきものと考えられていたのだそう。
亀仙人が自分の元を訪ねてきた数多の弟子志願者の中から孫悟空を弟子に選んだのも、彼が稀なる「寄物」であったからでしょう。おそらくそんな相手を、見出していくとき、人は生命の根源的活力に近づいていくのでしょう。
今週のキーワード
「椰子の実」島崎藤村