しし座
上空から心の穴を見る
不安の詩
今週のしし座は、野村喜和男の『狂気の涼しい種子』。特に、「詩編6 巌」の冒頭部分のごとし。
ただの狂気であれば熱っぽくなってしまうばかりだが、自分をどこかで「涼しい」と表現できるということは、精神のどこかに不安や違和感がないまぜになった「あやうさ」を感じているということであり、そこに自身の精神状態を簡単には言い表せないという自覚が混じることで、詩が生まれていく。
「けさは残り雪のあやうくて、 困ります、 またそれを見ている私ごときのあやうくて、
おお私は不具、 これはもう疑いようがありません。 転生への希い(ねがい)は遠景にかすみ、
かと思うと 私のちまちまとした縁辺ちかく、 水滴のようにしたたり、 神経の蟻(あり)を濡らしています、 おお私は不具、 眼を閉じれば、 灼(や)かれた空の色あい、 飛ぶ不吉なひらがな、」
3月3日にしし座から数えて「脱社会の突破口」を意味する11番目のサインであるふたご座で上弦の月(行動の危機)を迎えていく今週は、動かず静止した俯瞰的視点から今感じている不安や原初的な感情をただありのままに見つめていきたいところだ。
いったん自分を停止させる
例えば、朝がくると嬉しい。これはひとつの宇宙的感情であると同時に、それは俯瞰的な視点を惹起し、不安という穴倉から脱出していくための鍵でもある。
つまり、そこから地球が西から東に回ってくれて、今、東京に太陽の光が届いているんだな、とか。ふとこの足元の地球が、底知れない暗黒空間の中を、毎秒30kmという猛スピードで回っていて、それを太陽がグッと見えないロープで支えてくれているんだな、とか連想が飛んでいって、次第にありがたいような恐ろしいような事実に思い至っていく。 そういうとき、人はなぜだか習慣化し目的を見失った自分の行動を停止させるだけの力が湧いてくる。そうして初めて、いま自分がしようとしていることが、いったい何のためなのか、もういちど再検討することができるはず。
今週のしし座は、自分なりにそうした鍵を見つけていくことで、自分を取り戻していくことになるだろう。
今週のキーワード
不安や違和感を無視しないこと