しし座
視線の邂逅
視線はめぐる
今週のしし座は、「燈台の一眼凝らす盆の海」(三好潤子)という句のごとし。あるいは、かつて誰かに向かって送った視線が、形を変えて自分の元へと還ってくるような星回り。
作者の家は港に近く、お盆には海を見に沖に向かって突きだした堤の先へとよく行ったのだとか。回転する灯台の光が、暗い海に吸い込まれ、それがまた陸に還ってくる。
掲句は、そんな様子をじっと見ていて出来たものなのだろう。
まるで先祖の魂が、冥途からかえってくるのを分かっていて、暗い夜道を懐中電灯で照らして迎えに出ているかのようでもある。
作者は八月十五日生まれということもあって、物心ついてから人の生死には人一倍関心が強かったそうだから、ここには少なからず彼女の死生観も反映されているに違いない。
死んでいった者は、完全に消え去ってしまった訳ではなくて、どういう理屈か再びこの世へ再び還ってくるのだ。
そして同様に、憧れであれ妬みであれなんであれ、かつてあなたが誰かへ送った視線というのも、必ず他の誰かの視線を借りてあなたの元へと還ってくる。
今週だけでも、ひとつそんな風に考えてみるのはどうだろうか?
ある意味で、今週あなたが出会った人に向けられた眼差しや態度は、自分がこれまでどんな風にこの世界を見てきたのかをはかる上で、これ以上ない物差しとなっていくはずだ。
顔
実のない夫婦喧嘩ほど醜いものはなく、実のある夫婦喧嘩ほど美しいものはないと、かつて誰かが書いていました。
男女であれ、ヒトとモノであれ、そのあいだに横たわる関係性の意義というのは、たった一度の喧嘩などでは、決して分かりっこありません。
それは数度にわたる葛藤によって、ようやく垣間見えてくるもの。けれど、それが5度目なのか、7度目なのかは誰にも分からないし、葛藤といったって大げさに騒ぎ立てればいいというものでもないでしょう。
ただ、相手との間にあるズレやブレが、何かの拍子で解消されたり、逆に大きくなったりした末に、不意にピントが合って、自分がどんな顔をしているのか分かってしまう瞬間がくる。
はたして自分は以前より美しくなっているのか、醜くなっているのか。今週はそれが分かる瞬間がやって来るのでしょう。
今週のキーワード
喧嘩しているうちが花