しし座
不条理ゆえに我信ず
割り切れなさと向き合う
今週のしし座は、簡単には解けない問題を前に「この世には自分にはとても割り切れない問題があるのだ」ということを悟っていく子供のごとし。あるいは、そういう問題を嫌って、眼中から外してしまうのではなく、その不思議さそのものに魅入られていくような星回り。
大人になってしまうと、現実的な問題を抱えるあまり心は余裕をなくし、次第に心はどんどん狭くなっていく。そうした狭い心がなぜ厭わしいかと言えば、狭すぎて善も悪も居場所がなくなるからである。
つまり、特別悪いこともしない代わりに、偽善者だと後ろ指を指されてでも、善の方へ思いきり振れていくこともしなくなってしまう。そんな大人の味気なさと言ったらない。
そして、そうした大人が出来があってしまう要因となっているものこそ、自分にはとても解けなさそうだと見るや問題をすっ飛ばして、自分に割り切れる問題だけを探していくような日和見主義ではだろうか。
そういう意味では、今週はもう一度、人生という巨大な問題の割り切れなさや不条理さにかじりついてでも、じりじりと間合いを詰めていきたいところだ。
間を空ける
「内面に沈黙をつくりだし、いっさいの欲望、いっさいの意見に口をつぐませ、愛をこめ、たましいのすべてをあげ、言葉にはださずに、「みこころの行われますように」と思いをつくすとき、次にこれこそどうしてもしなければならぬことだと、あやふやさの一点もなく感じられることがあったら、(もしかすると、ある点では、これも思い違いかもしれないのだが……)それこそ、神のみこころである。」(『重力と恩寵』、シモーヌ・ヴェイユ、田辺保訳)
人が神の御心そのものを知ることは決してできないが、祈りにおいて個別的な事柄や思惑を頭の中から祓っていくことは不可能ではないだろう。
少なくとも、どんな行動や態度を選択していくべきかをはっきりさせていくことはできる。じっと目をこらして、観察し、自分に問いかけることを怠らなければ。
それが今週のテーマでもある、「解けない問題に魅入られる」ということの要点なのだと言えるだろう。
今週のキーワード
「魔が差す」ことのないように