ふたご座
あたりのモヤモヤを解き放つ
祭りの日の道化のように
今週のふたご座は、硬直し停滞していた日常をゆさぶり非日常を開く「道化」のごとし。
民俗学者の折口信夫によれば、中世の日本社会において、蓑笠をかぶり杖をついて乞食をしてまわった漂泊・放浪の人々は、ときに偶然立ち寄った村落で神秘感を漂わせる「まれびと」として迎えられ、祭りという<劇>の非日常性を活発化させる道化の役割を担ったと言います。
リスクを冒し「新しいテリトリーへの侵入を試みる」こと。そしてそこで積もりつもった「穢れを祓う特別な役割を果たす」こと。この二つが今しばらくあなたにとって、大切なテーマとなっていきそうです。
そこには、かつて神話において天界を追放され、雨の降りしきる中、草をたばねて蓑として、辺境をさまよい歩いたスサノオの姿を重ねることができるかも知れません。
道化、まれびと、触媒
これは別の言い方をすると、どこか特定のグループや場(共同体)の新陳代謝を促進するための「触媒」となるということでもあります。
つまり、共同体の内部でマジョリティーとなっているものをあえて無視し、逆にマイノリティーとして排斥されている人間・考え・事実・感覚にそっと光を当てていく。こうした道化役というのは、得てして「普通の人」の目からは異様に映るものですし、時には露骨に蔑視されることもあるでしょう。
ただ、その蔑みの視線の中にかすかな「畏れ」を感じ取ることができるかどうかが、よき道化か否かを分けるのだということもどうか覚えておいてください。人の眼差しが蔑視と畏敬のはざまで引き裂かれるとき、そこに非日常が開けてくるのです。
今週のキーワード
新しいテリトリーへの侵入を試みる、穢れを祓う特別な役割を果たす、共同体の新陳代謝を促進する触媒、蔑視と畏敬に引き裂かれた眼差し、赤坂憲雄『境界の発生』