ふたご座
魂を宿らせるということ
花になりきるがごとく
今週のふたご座は、「泰山木の花衰ふるときも激し」(長谷川秋子)という句のごとし。あるいは、「自分自身そのもののようだな」と思える何かを、自分の手で作り出し、あるいは紡ぎ出していかんとするような星回り。
泰山木は「マグノリア」の和名で、日本では公園樹としてよく植樹され、大輪で純白の香のよい花を咲かせることで知られている。しかし見事とはいえ花である以上はやがていつかは枯れる。それでも、ただ枯れるにしても泰山木の花らしく激しく枯れていくというのだ。
掲句で注目すべきは、花が枯れていく状況描写そのものではなく、ありふれた花ひとつであれ、描写に精魂を込めれば、そこに自分自身を宿らせていくことも可能と思わせるだけの作者の気迫であり、どことなく漂う美しい儚さだろう。
作者は美貌で知られた俳人だが、40代の若さで亡くなった。
あなたは死ぬまでに、掲句のような似姿ただひとつであれ果たして残すことができるだろうか。今週ならば、自分を何かに宿らせていく上で必要な儚さの感覚とそれを打ち破るだけの気迫を、胸の内に感じていくことができるかもしれません。
一文字に込められた思い
人は日々、言葉と出会い、あるいは表現とすれ違う。そのいちいちを覚えていたり、記録することは困難です。
ですがやはり、どこかで引っかかっている言葉や印象に残った言い回しがあったなら、ああかこうかと一日中眺めてみたり、何か月かは時々思い出して咀嚼してみるのでなければ、自分自身を宿らせるなんてことはできないのではないだろうか。
例えば、三橋敏雄の有名な句を2つ。
「出征ぞ子供ら犬も歓べり」(昭和16年、『太古』)
「出征ぞ子供ら犬は歓べり」(昭和41年、『まぼろしの鱶』)
「も」と「は」、一文字の違いですが、その印象はガラリを変わっています。後者は、状況を理解していない犬と子供たちだけが、なぜか人が集まって賑わっている状況を勘違いして喜んでいるのです。
おそらく作者は、ずっと「も」の一文字に引っかかっていたのでしょう。願わくば、かくありたいものです。
今週のキーワード
長谷川秋子=マグノリア