ふたご座
弱者と聖霊
はみ出し者たちの役回り
今週のふたご座は、「弱者の中に生じる激しさ」のごとし。あるいは、普通だったら無視されてしまうような些細なやり取りの影響の大きさに勘づいていくような星回り。
人類の歴史の中で、新しい世界を開拓し新たな価値を創造してきたのは、既存の価値観や社会に適応できなかったはみ出し者たちであるということに気付いたのは、自身も筋金入りのはみ出し者であったエリック・ホッファーでした。
5歳のときに失明し、15歳でなぜか視力が回復するもののほどなく両親が亡くなり、天涯孤独となった彼は、失明しているあいだ正規の教育を受けられず、財産もわずかだったため、すぐに放浪しながら日銭を稼いで暮らす生活に入り、40歳になってからようやく港湾労働者として定職につき、仕事後の時間を読書と思索に費やして、やがて大学で社会哲学を講義をするまでになっていったのです。
彼が30代の頃に滞在した季節労働者たちのキャンプには、社会に適応できなかった人たちの集まりで、飲んだくれやギャンブラーで溢れ、無傷な人間の方が少なかったそうですが、同時にホッファーはそうした愛すべき仲間たちの働きぶりや人間性を観察する中で、そんなはみ出し者にこそ特異な役割があることに気付いたのだとか。
弱者に固有の自己嫌悪は、通常の生存競争よりもはるかに強いエネルギーを放出する。あきらかに、弱者の中に生じる激しさは、彼らに、いわば特別の適応を見出させる。弱者が演じる特異な役割こそが、人類に独自性を与えているのだ(『エリック・ホッファー自伝 構想された真実』)
1月7日にふたご座から数えて「相互応酬」を意味する11番目のおひつじ座で上弦の月(行動の危機)を迎えていく今週のあなたもまた、自身や周りにいる「弱者」がどのようにして強いエネルギーを放出し、それによって実際にどんな変化がもたらされているのか、改めて観察してみるといいでしょう。
聖霊を制御するなかれ
ここで思い出されるのが、キリスト教における「聖霊」です。三位一体論において、神はひとつの本質に対して、3つのペルソナ(人格)をもち、それは「父・子・聖霊」ないし「神・イエス・聖霊」であると定義づけられており、その中で聖霊には「派遣」「発出」「霊発」という働きがあるとされています。
霊発は内から外に出ていくこと、息を吐くことで、発出とは行き及ぶこと、たどり着くこと、そして派遣とはミッションであり、色々なところで働きをなすことなのですが、それは例えば十字軍遠征のような血だらけの具体性をも秘めています。
いずれにせよ、聖霊の働きというのは誰か特定の個人のなかにとどまり続けるものであるというより、人々のあいだを経巡り、広がりを持った空間に遍在するインスピレーションとして、人に限らず、他の生きものや無生物、器物といったあらゆるものに宿り、強い伝染性や転移性を有しているにも関わらず、ほとんど気付かれなかったり、無視されてしまうようなものなのだと言えます。
当然、天災や疫病など、人間には制御しがたい出来事の背後にも、こうした聖霊の働きが想定され、人類は文明という名目を通して、長らく自分たちの生活や人生を堅固にするべく、聖霊を制御しようとしてきた訳ですが、現代というのは「弱者」と同じく「聖霊」に対してもまた、その扱い方そのものがどうにもならないところまで行き詰まってしまった時代なのかも知れません。
今週のふたご座もまた、そういう時代にあって、「制御」という発想から解放されるべく、弱者や聖霊のような存在の働きに改めて自分を開いていくことがテーマとなっていくでしょう。
ふたご座の今週のキーワード
だんだん穴だらけになっていく