ふたご座
霧の中を歩いていく
分からなさの奥行き
今週のふたご座は、「症例ジョン」のごとし。あるいは、みずからの内面生活にさらなる奥行きを与えてくれる相手とこそ向き合っていこうとするような星回り。
フロイトが1909年に発表した「ある5歳の少年における恐怖症の分析」という症例報告は少年の名にあやかって「症例ハンス」として知られています。
内容としては「馬に噛まれる」という恐怖のために外出できないという少年の症状に対し、馬とは父親のことであり、エディプス的(父との対決)な状況における去勢不安がその背景にあると精神分析した内容なのですが、話の出来としては粕谷栄市の詩集『悪霊』に納められた「症例ジョン」という散文詩の方が、よほど人間の精神の深淵さを感じさせてくれるように思います。下記一部引用。
彼の症状は、唐突に、全身を襲う激しい痙攣とそれに伴う失神である。数分乃至数十分で回復するのであるが、その間、彼は、明瞭に、「自分が自分ではない何ものかである」意識を持つらしい。その対象は、僧侶、医師、主婦などから、犬、樹木、さらに石塀やら稲妻などに至るまで、考えられぬほど多様なものであった。
興味深いのは、四十年も続いた、この症状を、彼自身を含めて、誰も気付かなかったことである。一つには、その昏迷に陥るのが、ある特定の場所、多くの埠頭の倉庫の中でも、最も使用されない綿花倉庫の小さな屋根裏部屋であったことによろう。他人に知られず、休息できるその場所を、永年、彼は彼のみの秘密にしていた。
果たして僧侶や犬くらいならまだしも、石塀や稲妻になった意識などというものが人間においてありえることなのかという疑問はさておき、そもそも筆者自身も占いという仕事をしていながら、クライアントに限らず本当は身近な人間であっても、その内面のほとんどを知らないし理解できない。
それでも、その分からないが「怖い」という方にではなく、少しでも「面白い」や「わくわくする」方に触れるなら、それは世にも稀な奇跡に近い僥倖なのではないか。
12月1日にふたご座から数えて「向き合うべきもの」を意味する7番目のいて座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、「症例ハンス」ではなく「症例ジョン」の方の意味での「分からない」に突き当たっていくことになるかもしれません。
霧の向こうの世界
イタリア文学者であり作家でもあった須賀敦子は、イタリア留学を経てミラノにあるコルシカ書店に勤めたことをきっかけにイタリア人のペッピーノと結婚し、日本文学のイタリア語への翻訳に従事したものの、夫の急逝を機に日本へ帰国し、晩年になってから小説家として知られるようになった人です。
結婚生活はわずか6年という短い期間でしたが、夫を失った彼女は夫が愛したイタリア詩人サバの詩に深く寄り添うようになり、後半生はサバの詩の和訳と紹介に情熱を注ぎました。例えば、サバの詩には次のような作品があります。
石と霧のあいだで、ぼくは
休日を愉しむ。大聖堂の
広場に憩う。星の
かわりに夜ごと、ことばに灯がともる
人生ほど、
生きる疲れを癒してくれるものは、ない。
「石」とはこの世のこと、そしてあの世は「霧」の向こうの世界としてここでは表象されています。彼女にとって小説を書くとは、「霧」の向こうの世界に行った人々へ手紙を書くことに他ならず、それこそが彼女の生きがいだったのでしょう。
言わば、彼女は先のサバの詩をそのまま生きたのだと言えます。その意味で、今週のふたご座もまた、自分がまさにこのように生きるのだと思えるような詩や作品や先例を見つけていくことができるかも知れません。
ふたご座の今週のキーワード
こんな生き様は嫌だ