ふたご座
こちら愛、応答せよ
応答性としての責任
今週のふたご座は、公的な顔の見直し週間。あるいは、あらためて自分の顔との折り合いをつけていこうとするような星回り。
昔はよく「人間、40になったら自分の顔に責任を持て」ということが言われたものですが、平均寿命がぐんと上がり、社会の底が抜けて流動性が増し続けている現代においては、こうした責任論を40そこらの人間に求めるのはいささか厳しすぎる印象があります。
とはいえ、顔がその人間の本質に関わることを物語るという視点自体は非常に重要な示唆をはらんでいます。こうした顔の問題について、例えばユダヤ人哲学者のレヴィナスは、「ひとの顔は、ただそれだけで意味がある」と言及する一方で、「(本質的に)<貧しい>」のだと語っています(原田佳彦訳『倫理と無限』)。
これは顔というものはおよそ正直だが無防備で、<慎み深い露出>を行っており、人がことさら気取った態度をとったり平静を装ったりするのも、どうしたって露呈してしまう<貧しさ>を隠すためなのだと言葉を続けるのです。
この<貧しさ>とは「傷つきやすさ(ヴァルネラビリティ)」であり、「受難や運命を能動的に受け入れ人間的な広がりを持とうとする性質」とも言い換えられるかも知れません。
いずれにせよ、そうであるがゆえに、他人の顔とのかかわりには倫理的な態度が大いに求められるのであり、この点についてレヴィナスは「顔とは殺すことのできないものであり、少なくとも『汝殺すなかれ』と語りかけてくるところに、顔の意味がある」のだと付け加えています。
2月29日にふたご座から数えて「公的な顔」を意味する10番目のうお座で土星と太陽と水星の3つの惑星が重なっていく今週のあなたもまた、自身の在り様を正直に表してしまう「きびしい鏡」としての自分の顔とどう折り合いをつけていけるか、少なくとも直視を避けずに受け入れるところから、新しい日常を始めてみるといいでしょう。
人間は弱い、だからこそ
近年欧米では、プロテスタントの考えるように人間を強いものとして考えるのではなく、弱いものと見なし、弱者の権利を助けるイスラム教の考え方に興味・共感を持つ人が増えているという話を聞きます。
これは例えば預言者ムハンマドの言行録『ハディース』の一節にある、「力強いとは、相手を倒すことではない。それは、怒って当然というときに心を自制する力を持っていることである」といった言葉を読むと実感しやすいかも知れません。
一見すると、強さの勧めのようにも受け取れますが、実際はそうではないことが分かるはず。むしろ、人としての「弱さ」から生じてきてしまう怒りや寂しさなどの「衝動を自制する」ことの難しさを前提にしている。
だからこそ、私たちは、しばしば自分の怒りや寂しさを隠したまま、無理やり笑顔を作って誰かと手を取り合おうとするが、それも人は強くあれるし、自分はそうあらねばいけないという価値観の裏返しなのではないでしょうか。
逆に、互いの弱さを受け入れ、それを自然と自らの秘めた悲しさやつらさを誰か何かと共有することができていったとき、「応答性としての責任」を果たすことができるのだとも言えます。今週のふたご座もまた、そんなことを大切にしていきたいところです。
ふたご座の今週のキーワード
人は弱い、だからこそ繋がり得る。