ふたご座
倫理的実践としての沈黙
格闘する者の証し
今週のふたご座は、倫理的実践としてのことば選びのごとし。あるいは、「倫理」に伴うある種の創造性の秘密に触れていくような星回り。
倫理学者のアンソニー・ウェストンは、ただ杓子定規に「~すべし」と命ずるだけの道徳と違って、倫理にはすぐに答えの出せないような「迷い」や「悩み」がつきものであると前置きした上で、「倫理には創意工夫が欠かせない」として次のように述べています。
この場合にはこうしなさいと道徳的に説いたり指図することは、一般的に言って、倫理の目的ではない。その真の目的は、考えるための道具を与え、考え方の可能性を広げることにある。世の中にはそんなに単純で明確なことなどめったにないということを認め―これは倫理の根本である―、それを踏まえて、困難な問題を考えていく、そのために倫理はさまざまな可能性を示すのである。だから、進むべき道を求めて格闘し、不確かなまま進んでいく、それなしには倫理はありえない。
ウェストンは「考えるための道具を与え、考え方の可能性を広げるもの」としての倫理を具体的に実践するための方法のひとつとして、ウェストンは「ことばを慎重に選ぶ」ということを推奨しています。
2月6日にふたご座から数えて「器用仕事」を意味する3番目のしし座で満月を迎えていく今週のあなたもまた、日常生活における些細な、けれど決定的なことば選びから、改めてみずからの倫理的な創意工夫をはじめてみるといいでしょう。
一つの噴泉としての沈黙
考えてみれば、現代ほど言葉ひとつひとつの力が失われ、何かを伝えたり口にしたりすることの意味が陳腐化してしまった状況もないのではないでしょうか。
逆に、古代の言葉というのは、つねにその中心にはひとつの大きな沈黙があって、いかにそこから放射状にさまざまな言葉が形づくられようとも、繰り返しこの沈黙という中心に帰っては、改めてこの中心から始まるようにできていました。しかもそうした傾向は、沈黙とはほど遠いものと思われがちな求愛や憤激の言葉であれば尚更強まったのです。
例えば、マックス・ピカートの『沈黙の世界』には、古代ギリシャのヘロンの言葉として次のような一節が引用されています。
偉大なる文体においては、通常、沈黙がかなりの空間を占めている。たとえば、タチトゥスの文章のなかには沈黙が支配している。卑俗な怒りは爆発的であり、低級な怒りは饒舌である。しかし、いわば正義を未来に期待して、もろもろの事柄に言葉を委ねるために沈黙することを欲する一種の憤激がある。
今週のふたご座もまた、あえて沈黙を欲することで、その沈黙の深みからやっと歩みでたばかりの最初の言葉の力強さを改めて獲得していきたいところです。
ふたご座の今週のキーワード
正義を未来に期待して、もろもろの事柄に言葉を委ねるために