ふたご座
現実の足を折る
おおきな虚の感覚
今週のふたご座は、「季語・切字あらねばならぬかもしれぬ」(筑紫磐井)という句のごとし。あるいは、いつの間にか生えていた現実への“根”を粉砕していくような星回り。
例えば、「歳時記・冬」の暖房にかかわる伝統的な季語のおおむねが、薪炭をもとにしたものばかりで、電気ヒーターや電気炬燵、石油ストーブにエアコンなどに助けられている現代の家屋環境では、もはや「炭火」などと言っても焼肉屋で肉を焼くとき以外はすっかりフィクション(虚構)の世界のものになってしまっています。
また、17文字を二文構成にするために、一句のうちの必ずどこかに入れられることになっている「や」「かな」「けり」などの代表的な切字も、もはや普段づかいの言葉ではなくなっており、俳句の“分かりにくさ”の要因のひとつとなっていることは否めません。
いずれも俳句を詠む上で「あらねばならぬ」揺るがぬ決まり事とされてきた訳ですが、作者はそこに「かもしれぬ」という疑問符をつけることで、カッコをつけてことごとく宙に浮かせてしまったのです。
ただ、これは「だから今の俳句はダメなんだ」と真面目に俳句の改革を訴えている内容だと受け取るよりも、「そもそも僕たちって底のないところを底にして立っていましたよね」といった、おおきな虚の感覚がぬるっと表出されたものと捉えた方がおもしろいように思います。
同様に、2月1日にふたご座から数えて「一個の巨大な疑問符」を意味する9番目のみずがめ座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、掲句くらいの“ちゃぶ台返し”を敢行してみるといいでしょう。
ソルジェニーツィンの目配り
旧ソ連にはおそらく数百の収容所があり、そこでは体制に批判的であるという理由で逮捕された約2000万人もの人々が不当に過酷な労働を強制されていました。ソルジェニーツィンの記録文学『収容所群島』では、作者自身の8年にわたる悲惨な収容所生活に基づいて、そこでの現実離れした全体主義のおぞましさや非現実性について、作者はこれでもかというくらい客観的にルポしています。
ただ、普通はルポルタージュと言っても、どうしたって書き手のバイアスがかかる訳ですが、この作者の場合、「二十五人用の標準監房に百四十人」などと数字を多用することで、あったことをできるだけ正確に描くことをモットーに、ルサンチマンのない透明な文体で事実を記述していきます。
例えば、「××許すまじ」といった記述の代わりに「将校だった自分ももし逮捕されなかったら、逮捕する人間と同じ冷酷さを持っていただろう」なんて書いている。こうしたものの見方こそが、現実を支配する権威や権力の側にとっては最も脅威となるのではないでしょうか。
その意味で、今週のふたご座もまた、どれだけ目の前の現実への目配せを権威や権力にとって危険なものにしていくことができるかが問われていくでしょう。
ふたご座の今週のキーワード
脱・ルサンチマン