ふたご座
呼びかけに応答する一人称として
他者の責任を引き受けるということ
今週のふたご座は、「存在する」という動詞を了解しなおしていくかのよう。あるいは、すべての他者よりも過剰に有責な自我の「責任」について考えていくような星回り。
「存在する」という言葉は、あたかもそれ単独で文の主成分になることができるかのように普段語られていますが、実際に存在の歩みを進んだり、存在の役割を果たすことはそう単純でも簡単でもありません。
というのも、私たちは自分ひとり単独で存在している訳ではなく、生物的にも社会的にも必ず他者との関わりを通して存在しているからです。
例えば、ユダヤ人哲学者レヴィナスは『倫理と無限』の中で、「他人の近さとは、他人が空間的に私に近いとか、親族のように近いというだけではなく、その他人に対して私が責任をとるかぎり―私に責任があるかぎり―他人は本質的に私に近い」のであり、「私には、あらゆる他者を、他者におけるすべてを、さらには他者の責任をも引き受ける全面的な責任に対する責任がある」とさえ述べていますが、これは宮沢賢治が『春と修羅』において「あらゆる透明な幽霊の複合体」とか「すべてがわたくしの中のみんなである」と言っていたのを別の言い方で表わしたものと言えるかも知れません。
29日にふたご座から数えて「社会的な責任」を意味する10番目のうお座で約5カ月ぶりに海王星が順行へ戻っていく今週のあなたもまた、こうした自我にとってのある種ユートピア的な考え方を通して、みずからの存在の条件について検討みるといいでしょう。
自分自身を信じるために
別にあえて難しいことを言おうとしてしている訳ではないんです。
ただ、意識や自我とは異なる「たましい」というのものが、どこか体の奥深くに誰にも知られることなく玉のように呑み込まれているものなのではなくて、感覚としては、自分と縁ある人との“あいだ”にこそ宿っていくものであるはずで。
何より、そんな風に自然と思えてくる時というのは、人が「無責任」とは対極の状況に置かれた時に他ならないのではないでしょうか。
今週はおそらくあなたにとっても、ちょうどそんなタイミングであり、だからこそ自分が「責任」という言葉において結びついている相手は誰かとここで問うておきたいのです。
それがたとえ生きている人間ではなく、動物やモノや星や、あるいは死んだ人間であったとしても、そこで結ばれた絆は必ずやあなたを適切な存在条件へと導いてくれる。そんな風に思います。
今週のキーワード
他人の方が私よりも高尚である