ふたご座
現実を逆手にとる
虚実自在の境地
今週のふたご座は、「虚に居て実を行ふべし」という芭蕉の言葉のごとし。あるいは、上手に嘘をついていかんとするような星回り。
これは俳句の根本を端的に示したもので、虚は事実に対する虚偽であり、現実に対する空想である。
それを踏まえて冒頭の言葉を解せば、作品の上にありもしないことを描き、想像の世界に人を導き、事実であるかのごとき錯覚を抱かせよということになる。
ただ、おそらくこれは単に虚=嘘を重んずるという話ではなく、広く文芸というものが日常世俗とは全く異なった価値体系に属するものであることを肝に銘じよという話だろう。
つまり、実=真実が虚を呼び起こし、虚はいつでも実に収れんして、絡み合った両者が目指すのは一つの真実であろうという‟虚実自在の境地”のことを言っている訳だ。
このことは、その反対を考えてみるとより分かりやすいかもしれない。すなわち、事実にとらわれながら、自由に想像の世界に遊べるかと言われれば、それは困難であるはず。
したがって、虚にいて実をおこなうとき、その虚は実へいたる架け橋であり、単なる事実を超えたより深い実=物事の本質をうがつための弾性に満ちたジャンプ台のようなものと言える。
ふたご座から数えて11番目(「未来への架け橋」の意味)のおひつじ座で起こる満月からスタートしていく今週のあなたもまた、虚実を自在に使いながら自分なりの実を思い描いていきたいところ。
あべこべな現実
たとえば、寺山修司がこんな詩を書いています。
「肖像画に
まちがって髭(ひげ)を描いてしまったので
ほんとに
髭を生やすことにした門番を
まちがって雇ってしまったので
ほんとに
門を作ることにした月夜に
まちがって影が二つできてしまったので
ほんとに
お月さまを二つ出すことにした」
そう、私たちはしばしば手順を間違える、というか現実のルールをひょいと飛び越えてしまうことがある。答えを先に書いてから、あわてて計算式を連ねていって辻褄を合わせるといったことはそう珍しくない。
なぜそんなことが起きるのかと言えば、私たち人間が本当は現実を超えた存在であるから。現実というのはみなで申し合わせてでっち上げたフィクションに他ならない。
その意味で、こうした作品もまた虚実自在の一例と言えるだろう。
今週のキーワード
うそも真実、事実も真実、そしてまたほんとも虚偽、事実もでたらめな現代という時代