やぎ座
いないいないばあ
潜伏の必要
今週のやぎ座は、『見失ひまた見失ふ秋の蝶』(高浜虚子)という句のごとし。あるいは、みずからの非合理な思いや衝動を受け入れてくれる器を求めていくような星回り。
「秋の蝶」は季節外れで、春や夏に見かける色鮮やかで跳ね回るように飛んでいる蝶と比べるとどこか弱弱しく、頼りなさげです。
この句ではそんな秋の蝶を「見失ひ」また「見失ふ」とつづけて、何度もくりかえしロストしてしまっている訳ですが、ここではその間にあるはずの「見つけては」という言葉が省略されてしまっています。
おそらく、見つけることではなくて、見失うことのほうにフォーカスして書いてみせることで、そこにいてもまるでいないかのような「秋の蝶」の存在感をより的確に浮きびあがらせようとしているのではないでしょうか。
翻って、今のあなたもまた、自分が大人になってから何を獲得し、何を見出してきたかということよりも、一体自分はどんなことを失って、何が見えなくなってしまったのかということの方にテーマがあるように思います。
誰しも思春期にはある種の「遍歴」がいるものですが、十分な遍歴ができなかった場合、いったん社会生活が安定して落ち着いてくるはずの中年期に入ってから、それまで潜伏していた思春期の病いとよく似た症状の人が出てきて、まさに「秋の蝶」のようになっていくんですね。
9月3日にやぎ座から数えて「追求」を意味する9番目のおとめ座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、見失いがちなものこそを最大限に注意をもって追い求めていくべし。
ベーコンの画業を支えたもの
ピカソと並ぶ20世紀を代表する画家フランシス・ベーコンは、長年にわたる画業の中でも肖像をもっとも重要かつ困難な仕事と位置づけていたそうです。それは、愛する(した)ものたちしか描くことができない上に、それこそが最も困難だと感じていたから。
彼はキャリアの最初期こそモデルを前に制作を行っていましたが、後にむしろアトリエに一人で、写真や記憶を頼って描くようになっていきました。その理由について、彼はリアルなかたちを記録するための歪曲がモデルを傷つけることになるからと弁明する一方で、「友人でなければ、こんなに暴力的にはできない」とも漏らしていたそう。
私は対象を、見た目よりもずっと歪めて描こうとしています。しかしそれは、本当の姿かたちを記録するためにこそやっていることなのです。(『美術手帖 2013年3月号 フランシス・ベーコン』)
芸術とは生への執着なのだと思います。そして私たちは人間なのだから、私たちがもっとも執着するものは、つまるところ人間なのだということです。(『美術手帖 2013年3月号 フランシス・ベーコン』)
彼は同性の恋人が自殺未遂事件を起こしてから実際に自殺してしまうまでの3年間にわたり、その肖像を執拗に描いていたこともありましたし、死後もたびたび亡き恋人の絵を描いていました。
今週のやぎ座もまた、たとえいったんは見失ったとしても、執拗に、繰り返し向かっていくべきものを見出していきたいところです。
やぎ座の今週のキーワード
生への執着