やぎ座
限界状況で見出されるもの
経済を回すより大事なこと
今週のやぎ座は、安藤昌益にとっての米つぶのごとし。あるいは、この世界で生きることの豊かさを感じ直すための土台がどこにあるのかを確かめていこうとするような星回り。
江戸時代の秋田藩で医師をしていた安藤昌益は、飢饉に見舞われた東北の厳しい環境の中で、仏教も儒教も何の役にも立たないことを身をもって痛感し、身分制社会を公然と批判したことで、日本的な社会主義の祖としても知られていますが、その真髄はやはりその独自の世界観にありました。安藤によれば、穀物の中でも米こそがこの世の循環運動を凝縮したものであり、この米粒から人間も生まれるものと構想されたのです。
米粒にすばらしい働きが具わっているのが、転定(天地)の太陽や月であり、人の霊魂である。(中略)米粒に転の穀物、定の穀物が具わり、転の穀物に定の穀物が具わり、定の穀物に転の穀物が具わっているのは、転定が一体ということである。男女は、男の中に女が具わり、女の中に男が具わり、男女で一人だということである。(『続道真伝』)
小さな米粒のひとつひとつに人の原形がこめられ、それを食べることで人の命も継続する。こうした経済を回すより、いのちの継続を願い、それを世界と人間との一体化を実践していくことで実現していく安藤の思想には、現代の日本人が改めて自然の中の人間の在り方を取り戻していくための大きなヒントがあるように思います。
1月22日にやぎ座から数えて「体験の強度」を意味する2番目のみずがめ座で新月を迎えるべく月を細めていく今週のあなたもまた、自分なりの世界観が凝縮しているような体験が日常のどこにあるのかを、改めて意識してみるといいでしょう。
「もうこうなっては」を流さない
先の安藤が飢饉を契機に自身の世界観を確立したように、しばしば「限界状況」を迎えていくとき、私たちは自身の世界の観方に気が付いていくことができます。そしてそれは、私たちが一生のうちで何度もぶつかっていかなければならぬ「もうこうなっては」とか「いよいよ」といった感覚とも深く関係しています。
そもそも私たち人間は、生・老・病・死という4つの苦しみを絶対条件として生存を許されているという点で、生まれながらにして限界状況にある訳ですが、一方で私たちはちょっとした気分の落ち込みやイライラ、不運な出来事を、さっさと忘れ去り、気を取り直そうとする傾向にあります。そうしなければ、日々の業務や生活は円滑に回らないし、意欲が衰えてしまうから。
しかしこうしたけなげさは、間違いなくプラスに働いている反面で、ついつい私たちを軽率にするばかりか、世界観を軽く浅いものにしてしまいがちです。私たちはいつも思ってもみなかった状況に置かれて初めて、自分が人間であること、他人が人間であること、この決まりきった事実が突如としていきいきと目に浮かんでくるのであって、その意味で、限界状況とは生きているという実感を再発見していくチャンスなのです。
今週のやぎ座もまた、普段なら軽く流してしまうような些細な感覚や気持に深く沈底していくことがテーマとなっていくでしょう。
やぎ座の今週のキーワード
重力を感じるように