やぎ座
影との付き合い
歳月を負ふ
今週のやぎ座は、『くらがりに歳月を負ふ冬帽子』(石原八束)という句のごとし。あるいは、昨年やり残したことや忘れてはいけない過去を改めて脳裏に刻みつけていくような星回り。
顔に深い陰影を与えてくれるのが「冬帽子」。掲句ではそれによって生まれたちょっとした「くらがり」に、作者自身の来し方や重ねてきた歳月が見えたというのです。
自分でそれを言っている訳なので、どこかポーズがかった自意識も感じられるものの、「冬帽子」という季語の使い方で下品になっておらず、そうした自意識自体も他人から見られることを前提とする公人には必要不可欠なものと言えます。
作者は主要新聞の俳壇選者や現代俳句協会の顧問を歴任してきた人物でしたが、一方で幼時から病弱で、若い頃には結核で療養を余儀なくされたという過去もあり、そうした偉くなっていく社会的な立場と自身の内面的な背景とのギャップをいつもどこかで抱えていたのかも知れません。
その意味で、冬の濃く深い「くらがり」で冬帽子をかぶるという動作は、そうしたギャップへの自覚を自身に促すための重要な儀式だったのではないでしょうか。
1月15日にやぎ座から数えて「公的な顔」を意味する10番目のてんびん座で下弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、ついつい開いてしまいがちな立場と背景との開きを、グッと引きしめていきたいところです。
「女時」の過ごし方
誰にだってそれなりに長く生きていれば、必ずどこかで人生に影が差したり、「スランプ」に陥っていくものです。それも何度も。時にそれが十数年にも及んで、もうオワコンになってしまったのか、そもそも才能がなかったのか分からなくなることだってあるはず。
能の大成者・世阿弥の『風姿花伝』の第七別紙口伝の終わり近くに「男時・女時」という言葉が出てきますが、これなど日本最古のスランプ論のひとつと言えるかも知れません。
去年盛りあらば、今年は花なかるべき事を知るべし。時の間にも、男時・女時とてあるべし。いかにするとも、能のよき時あれば、必ず悪き事またあるべし(去年大いに運もついて調子がよかったならば、今年はこれといった華のない年になることを覚悟すべきだ。タイミングにも「男時・女時」というものがあって、どんな才能の持ち主であれ、どんな努力をしたとしても、良い出来につながる時もあれば、かえって悪い出来につながってしまう時もあるものだ)
と言い、とくに女時の対応の仕方について説いているのです。
女時(めどき)、つまり運のつかない時、調子の出ない状況にある時、その最良の仕方はいたずらにその状況に抗うのではなく、さりとてさっさと逃げ出してしまうのでもなく、じっくりと付き合うことではなかろうか。そうすれば、掲句のようにそこで深まった「くらがり」さえも身にまとい、顔に宿すことができるようになるのだ、と。
今週のやぎ座もまた、ひとつそんなことを大切にしていくべし。
やぎ座の今週のキーワード
冬帽子をかぶる