やぎ座
尋常ではない躊躇のなさ
きちんとがんばりが報われる社会へ向けて
今週のやぎ座は、社会悪への対抗手段としての「一般意志」の武装。あるいは、「人間への依存」をできるだけ解除していこうとするような星回り。
私たちは平和的に合意を取りつけるためには、とかく「話し合い」が大切であり、公共性とは何よりもまず言論の空間なのだと教えこまれてきましたが、近代教育思想の出発点として知られる『エミール』において、著者ルソーはそうした考え方とは真逆の主張を展開しました。
依存状態には二つの種類がある。一つは事物への依存で、これは自然のものである。もう一つは人間への依存で、これは社会のものである。事物への依存は、いかなる道徳性ももたないものであり、自由で妨げることがなく、悪を生み出すこともない。人間への依存は、無秩序なものとして、あらゆる悪を生み出し、これによって支配者と奴隷はたがいに相手を堕落させる。
このようにルソーは自然と文化、自然と社会といった二項対立において、つねに前者を高く評価し、後者に批判的であったのですが、ここで重要になってくるのが、人間への依存によって社会に生まれる悪に対抗する手段としての「一般意志」です。
端的に言えば、「一般意志」とは社会全体の意志のことで、個人の意志を意味する「特殊意志」と区別して用いられているのですが、それは「もし市民たちが互いにまったくコミュニケーションをとらないのであれば、無数の小さな差異はつねに一般意志を生み出し、熟慮の結果はつねによいものになろだろう」と述べられているのです。
つまり、お互いのことを知らない同士だからこそ、下手な忖度や同調圧力が避けられ、意見の違いも担保され、そうした形で無数の異なる意見が集積されてこそ、きちんと自分の頭で考えた人のがんばりが社会で報われるのだ、と。
その意味で、1月7日にやぎ座から数えて「他者の応接」を意味する7番目のかに座で満月を迎えていく今週のあなたもまた、純粋に自分の好きに動いていくことを信念をもって実行していくことが、一周まわってテーマとなっていくでしょう。
シオランのエピソード
作家であるとか思想家であるといったカテゴリー以前に、一個の巨大な反抗者であったエミール・シオランは、ある著書の中で次のようなエピソードについて語っていました。それは彼が20歳のときに、働きもせず明け方に街を彷徨していた息子に対して母親が、「わかっていれば、中絶しておくんだった!」と言い放ったというのです。
この言葉は、私を打ちのめすどころか、私にとって解放であったと言わなければなりません。この言葉で、私は気力を取り戻した……と言いますのも、自分がまぎれもないひとるの偶発事にすぎず、自分の生を真面目に考える必要のないことがわかったからです。それは解放の言葉でした
彼の中には、いかなる負債も罪悪感も存在しませんでした。彼の中にあったのは、ただ生に対する飽くなき好奇心であり、その際の尋常ではない躊躇のなさだったのです。今週のやぎ座もまた、ただただ思いのままに動いていくべし。
やぎ座の今週のキーワード
生誕の災厄を生き抜くこと