やぎ座
逆照射された自分に気が付く
影響を与えたり、与えられたり
今週のやぎ座は、ギリシャ語の「クレースタイ」という言葉のごとし。あるいは、「使う/使われる」という図式に単純化してしまっている関係を改めて複雑化していこうとするような星回り。
ギリシャ語では「箸をつかう」とか「手をつかう」という時の「つかう」は「クレースタイ」という動詞によって表現されますが、僕ら日本人の常識でいうと、誰かが何かをつかうのだから、それは能動態に活用するような気がするのですが、どうやらギリシャ語の「使用」には日本語のそれとは異なる意味があるのだそうです。
さらにこの動詞は、「私はそれをつかう」というような直接的な仕方で目的語をとらず、必ず「太郎につかった」というような間接的な仕方で目的語をとり、すなわち、主語があってそれが対象をコントロールするというのとは違った関係を示唆しているのです。
整理すると、つまり、ギリシャ語の「クレースタイ(使う)」という動詞は、あらかじめ主体が決まっているのではなく、あくまで使用関係のなかで、何かを使うという事態が先にあって、事後的にそれを使う主体が構成されてくるということ。例えば、スマホであれ、お金であれ、使用は主体による客体の支配関係をさすのではなく、あくまでそれらが相互作用のなかにあって、主体は変容してしまうし、客体を思いのままにもできないのだという訳です。
同じ意味で、5月9日にやぎ座から数えて「抜き差しならない関係」を意味する8番目の星座であるしし座で上弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、自分が無意識のうちにそれを支配できていると思い込んでいる対象への支配妄想を打ち消していくことがテーマとなっていくでしょう。
ツェランの「糸杉」
詩人パウル・ツェランの『糸の太陽たち』という詩は、「アウシュビッツの後に詩を書くのは野蛮だ」というアドルノの言葉に対する返答と言われ、またゴッホの「星月夜」の絵に着想を得たとも伝えられる作品でもあり、その中には次のような一節が出てきます。
糸の太陽たちが
灰黒色(かいこくしょく)の荒野のうえに、
ひとつの木の
高さの考えが
光の音を捕らえる――
人間たちの
あちら側には まだ歌われるべき歌たちがある
(中村朝子訳)
地上から激しい光の渦巻く夜空へ向かって伸びる糸杉はゴッホ自身の姿ともされていますが、おそらく、この詩の中で「糸杉」はツェラン自身の思考の在りようとして捉えなおされていたのではないでしょうか。
その意味で、ツェランと詩の関係性にも先の「クレースタイ(使う)」という動詞は適用できるのだとも言えます。そして今週のやぎ座のあなたもまた、ツェランのように自分のやっている仕事が自分にどんな変容をもたらしているか、改めて再発見してみるべし。
やぎ座の今週のキーワード
詩を使うのではなく、詩とともに変容していく