やぎ座
精神の暗黒舞踏
地にへばりつく者
今週のやぎ座は、「足摺り」という言葉のごとし。あるいは、浮こうとしても浮きえない自らの性(さが)を改めて自覚していくような星回り。
古典的な能や現代の暗黒舞踏では、跳ぶことが禁じられ、その代わりに地に括りつけられた者の所作としての「足摺り」に大きな意味が与えられている。
バレエやタップ・ダンスが、軽やかに人間的な湿り気や拘泥からみずからを遠ざけようとするのに対して、足摺りは土着的であり、低く重くみずからがその上に立つ大地へと下降し、そこに立て籠もっていく。
かといって、それは大地や床を卑しめたり、蔑んだり、憎悪したりするのではなく、リアリティーのもっとも内奥におのれを浸透させ、そこでじりじりとおのれをリアリティーに擦り付け、これを外してしまえばおのれの立場そのものが虚偽になると思い詰め、受け入れざるを得ない事態のなかでただただみずからを苛んでいくのだ。
それは自分がそもそも「腐植土(ラテン語のhumus、humanity=人間性の語源)」であることを思い出していくための技芸でもあり、悔いや恥といった情念はそこから噴き上がってくる。
8日にやぎ座から数えて「社会的地位や立場」を意味する10番目のてんびん座で、満月が起きていく今週のあなたもまた、火急の事態への必死の抵抗を試みるべくみずからを「足摺り」させていくべし。
地獄下りと精神の力
宗教学者ミルチャ・エリアーデは、祖国ルーマニアに戻れず異国の地で厳しい日々を送っていたある日の日記の中で、次のように書きつけている。
「私は繰り返される失敗、苦難、憂鬱、絶望が、ことばの具体的で直接的な意味での<地獄下り>を表していることを明晰な意志の努力によって理解し、それらを乗り越えうる者でありたい、と念じている。人は自分が実際に地獄の迷宮中で迷っているのだと悟ればすぐ、ずっと以前に失ったと思い込んでいた精神の力が、新たに十倍になるのを感じるのだ。その瞬間にあらゆる苦しみはイニシエーション(新しい出発)の<試練>になる」(『エリアーデ日記 旅と思索と人』)
ここではまさに彼の宗教学研究がそのまま、彼の生にも直結しているかのようでもある。「足摺り」を繰り返せば、必ずその先で地獄下りへと繋がっていくが、それでもなお、エリアーデのように明晰な意志をもって臨んでいきたいし、それらを乗り越え得る者であらんと念じて、精神の力を奮い起こしてみてほしい。この人間界も地獄なのだと、はっきり意識することで。
今週のキーワード
足摺岬