やぎ座
亡者か獄卒か
我が心のなかの地獄
今週のやぎ座は、地獄絵のごとし。あるいは、無条件に従わざるを得ないものを受け入れていくような星回り。
とっさに「地獄」と言われても、それはどこか遠くにある、自分には縁もゆかりもない異界に過ぎないと感じる人がほとんどかもしれません。
しかし、実際の地獄絵を見ているうちに、次第に心が沸き立っていることに気が付くのではないでしょうか。
なぜなら、地獄というのは私たちの心のうちにあらかじめ組み込まれた本性の一部であり、心のなかに暴力とエロスの欲動を秘めた人間というのは、みな平等に生まれながらにして、地獄に堕ちる資質を与えられているのですから。
だから、あえて言おう。いつかあなたもきっと地獄に堕ちる。いや、人間は皆既に地獄に堕ちている存在なのだと。それは悪人であれば当然であり、善人ならばなおさらのこと。
そんな地獄の在り様をただちにこの目に焼き付けたいと思う者にとって、地獄絵はある種の救いにさえなるはず。
9日(火)にてんびん座で上弦の月を迎えていく今週は、やぎ座の人たちにとってそんな不思議な欲動の「充足」へと向かわせていくことでしょう。
「社会人」はつらいよ
「嘘をつくと、閻魔さまに舌を抜かれるよ―」。
幼い頃に、家族や近所の大人、学校の先生などにそんな風に言われた経験は、誰しも記憶の底に持っているのではないでしょうか。
そのルーツに当たるのが、八大地獄のひとつ大叫喚地獄のなかにある「受無辺苦」という場所。平安時代に書かれた『往生要集』には、この「受無辺苦」について次のように説いています。
「この別処において、獄卒は熱鉄の金鋏(かねばさみ)をもって亡者の舌を抜き出す。抜き終わると、また舌が生じて、生じるとまた抜き出す。眼球をくり抜かれるのも、これと同じ。また刀をもってその身を削られる。その刀はカミソリのように鋭い。このような特別の責め苦を受けるのは、すべて嘘をついた報いなのである」
かつてフロイトは、人は去勢を免れるために幼年期に心理的葛藤を経験し、社会の一員になっていくと説きました。
舌を抜かれることの恐怖は、こうした去勢の恐怖とほぼ同じであり、その意味で「受無辺苦」とは人が社会化し、人と人とが交際していく上で必ず通る葛藤(苦しみ)の裏返しなのかもしれません。
今週のキーワード
兵庫・極楽寺所蔵「六道絵」