かに座
すべてが最中であるならば
わが身の滑稽を笑え
今週のかに座は、『高慢と偏見』の登場人物に注がれる作者ジェイン・オースティンのまなざしのよう。あるいは、自分を「恥ずかしい人間」として笑い飛ばしていこうとするような星回り。
優れた文学作品を読む楽しみは、素晴らしく立派で非の打ち所のない人物を知ることより、むしろただ生きているだけで、滑稽さや失敗をどうしようもなく抱え込んでしまうものだということを痛感することのうちにあるように思います。
例えば、18世紀イギリスの古典的名作であり、夏目漱石も絶賛したオースティンの『高慢と偏見』の登場人物は、誰一人として完璧な人物がいません。男性も女性も総じてあるときは善人だったりあるときは悪人だったりして、間違えたり、妙なプライドを持っていたり、暴走したりする。作者オースティンのまなざしは登場人物全員を平等に「恥ずかしい人」として扱うのです。
母親の過剰な心配性も、父親の辛辣さや無責任さも、若い娘にやりこめられるお金持ちだがコミュ障の青年も、激しい思い込みでやらかす友人も、作者が片っ端から笑い飛ばしていくことで、その存在が根本のところで許され、救われていく。
われわれは何のため生きているのかね? 隣人に笑われたり、逆に彼らを笑ったり、それが人生じゃないのかね?
おそらくこれは登場人物の口を借りた、作者自身の地声でしょう。そして、3月4日にかに座から数えて「セルフツッコミ」を意味する6番目のいて座で下弦の月(意識の危機)を迎えていく今週のあなたもまた、理想ばかり追うのでも、かと言って現実から目を逸らすのでもない、自分の立派じゃなさを、たはは、と笑って許してくれるようなまなざしを取り入れていきたいところです。
なよなよしててもいいじゃない
例えば、誰かが「なよなよ」していると言えば、それはどこか線が細くて、柔らかく曲がりくねり、芯がしっかり通っていないような印象を与えるということであり、結果としてその頼りなさや弱さによって他者を動かしてしまう、そういう姿態のことを指します。
あるいは、自他をないまぜに、互いの差異をないがしろにして、どこか緊張の欠いた、なめらかで、なごやかである代わりに、十分に自立していないような、そういう関係性や空気感をもたらす態度のことだと言ってもいいでしょう。
いずれにせよ、あまり自立や意志による人生の打開をモットーとする近代的な人間の理想像には重ならない姿態どころか、むしろ正反対であり、もっとも欠けている資質や能力なのだと言えるかも知れません。
今週のかに座は、いわばそうした「なよなよ」モードで自分がいること、すなわち、いつも確かで安定的であることは不可能なのだという“許可”をみずからに与えていくことがテーマとなっていきそうです。
かに座の今週のキーワード
たはは