かに座
ここはどこ?
ここには私たちを夢見ている夢がある
今週のかに座は、『焚きつけて尚広く掃く落葉かな』(西山泊雲)という句のごとし。あるいは、明晰夢を見ている時の“感じ”に引っかかったり、それを深めていこうとするような星回り。
それなりの広さのある庭の落葉を掃き集めて、その落葉の山に火をつけた。ところが、そうしておきながらもなお、掃き残してある庭の一方のほうも広く掃くのだという。
こうしたことは、日常生活のなかで事実としてありがちなことではありますが、改めてその心持ちというものを想像してみると、いささか複雑なところがあるように思います。
そばで落葉の山が一気に燃えあがれば、おのずと気持ちもどこかカッカとしてくる。そういう部分を心にもちつつも、遠くの方を静かにせっせと掃いて、スーッと鎮まってもいる。果たしてこの2つの心理が自然に両立することはあるだろうか?といぶかしんでしまうが、確かにそういうことはある。
例えば、スポーツの世界だと、競技に集中していく中でいわゆる「ゾーンに入る」体験とされているのはそれに近い。そういう時というのは、大抵息もあがってきて、興奮はしているんだけれど、頭はどんどん冷静になって、対象物をとらえる解像度が上がっている。また、夢の中で夢を見ていると分かっていながら、夢を見続けている明晰夢の感覚とも似ているところがあるのではないでしょうか。
11月8日にかに座から数えて「自己充足」を意味する5番目のさそり座後半に太陽が入って立冬を迎えていく今週のあなたもまた、何気なく日常を送っているなかで訪れるそうした端緒を見逃すことなく追求していくべし。
つかまり立ちする幼児のように
僕は今どこにいるのだ?僕は受話器を持ったまま顔を上げ、電話ボックスのまわりをぐるりと見回してみた。僕は今どこにいるのだ?でもそこがどこなのか僕にはわからなかった。見当もつかなかった。いったいここはどこなんだ?僕の目にうつるのはいずこへともなく歩きすぎていく無数の人びとの姿だけだった。僕はどこでもない場所のまん中から緑を呼びつづけていた。(村上春樹『ノルウェイの森』)
例えば、この「僕」はさながら生まれたばかりの人間の幼児のように、十分なリアリティを得ることができるほどの安定性がなく、エネルギーが収束されずただ光のカオスとして周囲を流れ続けていますが、これはどこか今のあなたに近いのではないでしょうか。
何かを創り出していくのが人間の資質だとするなら、それは特定の他者であれ土地であれ占星術のようなシステムであれ、他の座標系に共鳴し、浸透され、時にぶつかり合いながら適切な間合いを探ることによって、新たなシステムを立ち上がらせていく他ありません。
今週のかに座もまた、孤立純化したシステムとして硬直してしまうのではなく、そうした共鳴を改めて心がけていきたいところです。
かに座の今週のキーワード
他の座標系との共鳴