かに座
軽やかな共生をめざして
共生を通じた哲学
今週のかに座は、プラトンの開いた学園アカデメイアのごとし。あるいは、自分が何かを受け継ぎ、語り継いでいく、その形式についてあれこれ思案を巡らしていくような星回り。
思想というのは書物だけでは成立せず、そこには必ず生きた会話や交流が必要となってきますが、例えば古代ギリシャでは数々の「学派」や「学校」が誕生し、数々の共同研究の成果や資料を蓄積することで、思想を次世代に引き継ぐ役割を果たしていきました。
なかでも、プラトンが開いた学園アカデメイアは、与えた影響と存続した期間の長さで群を抜いた存在でしたが、彼は師であるソクラテスの刑死から、日常生活の空間で自由に議論することの危険をよく認識し、あえて空間を限ることで、学問の自由と発展を可能にする場を作り出したのでした。彼のつくった学園が実際にどのような内実をもっていたのかについて、例えば哲学者の納富信留は推定であると断りつつ、次のように描写しています。
アカデメイアでは授業料を取らなかった。入門は身分や性別を問わず、女性の成員もいた。特定の教育プログラムはなく、レヴェルに応じた議論や研究がなされた。プラトン自身はほとんど講義しなかった。共同食事など共生を通じた哲学が目指された。現代で言えば、学校というより研究所に近い組織かもしれない。(中略)比較的自由で自律的な仕組みによって代々の学頭によって運営されていたのであろう。途中で衰退や断絶の時期があったかもしれないが、学園は後五二九年に東ローマ工程ユシティニアヌス一世(483~565)が異教徒の学校閉鎖令を出すまで九〇〇年あまり存続し、多くの哲学者たちの修練の場となると共に、西洋哲学のシンボルとして後世に語り継がれることになる。
同様に、20日にかに座から数えて「公的活動」を意味する10番目のおひつじ座で新月(日蝕)を迎えていく今週のあなたもまた、自分が参画したり、作っていきたい場の在り様ということを改めて思い描いてみるといいでしょう。
かすかな不安や恐怖を越えていくために
社会学者の岸政彦は『断片的なものの社会学』の中で、孤独死をテーマにしたある年度の聞き取り調査で知った、女性たちがつながりをつくっていくのに、玄関先の植木が一役買っているという興味深い話について書いていました。
それは小さなスミレや朝顔の鉢植えを誰かにあげて、お返しにポトスの鉢植えをもらうとか、玄関先で植木に水をやっていたら「きれいですね」と一声かけるとか、難しい花の育て方や我が家の一工夫について教え合うといった仕方で、植木鉢を介したちょっとした会話がきっかけとなって、そこから脱線的に交流が生まれていくのだとか。
逆に、高齢の男性ほど、こうしたちょっとした他人とのつながり作りや、仕事に無関係な会話をすることが苦手で、孤独死も多くなるのだそう。こうした男女間の対照的な事例を見ていると、人に話しかけたり、それに自然と応じていくということは、一見すると大したことのないように見えるけれど、人の生死や幸福度を大きく左右していく隠れた難事業なのだということがつくづく分かってきます。
そして、そうした人間間の難事業がぶつかる壁をことごとく突破する手助けとなってくれるのが先の「植木鉢」に他ならず、その最大の特徴は“軽やかに”共に生きていける点にあるのではないでしょうか。
その意味で、今週のかに座もまた、誰かと“共に生きていく”ということに付きまとう重たさを幾らか払拭していくことをアウトラインに据えてみるといいかも知れません。
かに座の今週のキーワード
玄関先の植木鉢