かに座
きれいになど終われない
歴史の帰結を垣間見る
今週のかに座は、「人間の頭からの逃亡」のごとし。あるいは、たんに受動的で無抵抗な存在とはなるまいと意を決していこうとするような星回り。
ジョルジョ・バタイユは、フランスの国立図書館で見かけた動物の頭部をもつアルコンというグノーシス派の沈み彫りの刻印から強い衝撃を受け、その後『アセファル』という雑誌を創刊しました。
その表紙を飾ったのは頭のない裸体の人間像であり、バタイユはこの図像に「囚人が監獄から逃げるように、人間は頭から逃走した」というテクストを付けた訳ですが、その念頭にあったのは歴史以後の世界で呈することになる人間と自然の姿をめぐる問題でした。
すなわち、ホモ・サピエンス種という動物が、忍耐強い労働と自己否定のプロセスをへて、ついに真の意味での人間となるにいたって、一体何者になってゆくのかという問いです。
それに対するバタイユの答えは、神的存在となる訳でも、動物性へ回帰するのでもなく、つまり超人的でも否定的でもなく、並々ならぬアウラを帯びて、哄笑をものともせずに死の前の歓喜や恍惚という形式で芸術、愛、遊びを実践する存在として、ほんの一瞬のうちに垣間見ていたのではないでしょうか。
23日にかに座から数えて「行き着く果て」を意味する9番目のうお座で下弦の月(意識の危機)を迎えていく今週のあなたもまた、激動の歴史を前にして自分がどこへ向かっていきたいのか、改めて再確認していくべし。
宇宙のように 複数であれ
フェルディナンド・ペソアという詩人は、南アフリカで育った後、20歳ぐらいの時に父の祖国であるポルトガルに帰り、リスボンの貿易会社で手紙の翻訳などをして地味な生涯を終えたといいます。
ここで大事なことは、彼はもともとはもっぱら英語でものを書き、大学入試の際には英語のエッセイで最優秀賞を取るほどだったにも関わらず、ポルトガルに帰ってからはポルトガル語だけで書いたということ。
これはただバイリンガルで優秀であるということ以上に、ふたつの異なった言語を持つことでペソアが自身のアイデンティティをどう成立させていったのかということ。おそらく、ペソアはそこで自分自身が引き裂かれていくのを感じつつも、同時にそこに何らかの「解放」ないし「頭からの逃走」を感じていったのではないでしょうか。
私は自分自身の旅人/そよ風のなかに音楽を聞く
私のさまよえる魂も/ひとつの旅の音楽
私とは、わたしとわたし自身とのあいだのこの間である
その意味で、今週のかに座もまた、「宇宙のように 複数であれ」というペソアの言葉のように、自分が自分自身から離れ、通りすぎていくのを感じていくことになるかも知れません。
かに座の今週のキーワード
わたしの複数性を旅すること