かに座
存在が響きあうとき
虹の架け橋
今週のかに座は、「虹立ちてたちまち君の在る如し」(高浜虚子)という句のごとし。あるいは、これぞという相手との交流に没頭していくような星回り。
作者は当時70歳。掲句には「虹の橋かかりたらば渡りて鎌倉に行かんといひし三国の愛子におくる」と書き添えられています。愛子とは、孫ほどに年の離れた病身の女弟子のことで、越前の三国(現在の福井県)に住んでいました。
敗戦を前後して、ふたりは互いに「虹」を詠むことを通じて情愛を深めていきましたが、愛子は掲句が詠まれてから3年後の春、29歳の若さで亡くなっています。掲句の同時作に「虹消えてたちまち君の無き如し」がありましたが、作者ははじめから愛子のなかに虹のごときはかなさを見て取っていたのかも知れません。
それでも、二人にとって「虹」という符牒は、地理的な断絶をこえて互いの存在を身近に感じることのできる「合言葉」であり、なくてはならない精神的な拠り所でもあったに違いないでしょう。
5月30日にかに座から数えて「呼びかけと応答」を意味する3番目のおとめ座で、上弦の月(行動の危機)を迎えていく今週のあなたもまた、恥も外聞もかなぐり捨てて、これと心に決めた相手や対象に働きかけていくことがテーマとなっていくでしょう。
人間は弱い、だからこそ
近年欧米では、プロテスタントの考えるように人間を強いものとして考えるのではなく、弱いものと見なし、弱者の権利を助けるイスラム教の考え方に興味・共感を持つ人が増えているという話を聞きます。
これは例えば預言者ムハンマドの言行録『ハディース』の次のような一節を見ると実感しやすいかも知れません。
「力強いとは、相手を倒すことではない。それは、怒って当然というときに心を自制する力を持っていることである」
これは一見すると、強さの勧めのようにも受け取れますが、実際はそうではありません。むしろ、人としての「弱さ」から生じてきてしまう怒りや寂しさなどの「衝動を自制する」ことの難しさを前提にしているのです。
私たちは、しばしば自分の怒りや寂しさ、コントロール欲を隠したまま、無理やり笑顔を作って誰かと手を取り合おうとしますが、それも人は強くあれるし、自分はそうあらねばいけないという価値観の裏返しなのではないでしょうか。
逆に、互いの弱さを受け入れ、自然と自らの秘めた悲しさやつらさを誰かや何かと共有することができたとき、虚子と弟子の愛子のあいだにかかった“虹”のごときものが開けてくるのでしょう。人は弱い、だからこそ繋がり得る。そんなことを今週は大切にしていきたいところです。
今週のキーワード
人の心ははかなく脆い、だが美しい