みずがめ座
自然に逆らわないということ
宇宙的ぐるぐるをたどる
今週のみずがめ座は、母親とへその緒で繋がった「星の胎児」のごとし。あるいは、ひたひたとしのび寄るAI化や家畜化の波を断ち切っていこうとするような星回り。
AI技術の進歩と台頭によって、「人間らしさ」が問い直されたり、その定義が書き換わっていきつつある昨今、改めて思い出されるのはかつて解剖学者の三木成夫が、生命の本質について、およそ30億年前の海水にうまれた地球上で最初の生命物質に立ち返ることで描き出してくれたその鮮やかな手つきです。
地球という特殊な「水惑星」において初めて現われた、それは運命的な出来事と思われる。この原始の生命球は、したがって「母なる地球」から、あたかも餅がちぎれるようにして生まれた、いわば「地球の子ども」ということができる。この極微の「生きた惑星」は、だから引力だけで繋がる天体の惑星とはおのずから異なる。それは、「界面」という名の胎盤をとおして母胎すなわち原始の海と生命的に繋がる、まさに「星の胎児」と呼ばれるにふさわしいものとなるであろう。(『胎児の世界: 人類の生命記憶』)
ここからさらに三木は、生命らしさを特徴づける自己更新を、生命リズムを代表する「食と性」、「吸収と排泄」という対をなす波が、太陽系のもろもろの波に乗って無理なく流れ、1つの大きなハーモニーを醸し出すところまで、ビジョンを展開していくのです。
この生きた小さな星たちは、こうして「母なる地球」と手を携えて太陽系の軌道に組み入まれ、「兄弟の月」そして「叔父・叔母の惑星たち」と厳密な周期の下に交流をおこなう一方、「祖母の太陽」を介して、さらに広大な銀河系の一員として、そこに交錯する幾重もの螺旋軌道に乗っかることとなる。そしてこの銀河系もまた、もうひとつ大きな星雲の渦にとり込まれる……。こうして際限なくひろがっていく。その星雲の果てに、無辺の虚空のなかを宇宙球の最後の渦がゆるやかにまわりつづけるのだという。
三木はこうした生命リズムと宇宙リズムとのハーモニーを「宇宙交響」とも名付けています。その意味で、12月1日にみずがめ座から数えて「中長期的なビジョン」を意味する11番目のいて座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、今自分が乗っているリズムや波が、宇宙リズムとどれだけきちんと交流できているか再確認していくことになるでしょう。
「可能性の可能性」を描く
例えば、天才数学者で随筆家でもあった岡潔は、今から半世紀以上前の1963年に刊行された『春宵十話』の中で「日によって、自分自身の生理状態に従って夜型であったり昼型であったりするだけで、すべて自然に逆らわないようにしている」と書いています。
さらに、大自然のやり方というのは「全くぜいたくなもの」で、カエルの卵も非常におびただしい数の中からわずか一匹しかできないことを例に挙げ、2年に1本仕上げる自分の論文もその方式で書いているのだと続けた後、次のように述べているのです。
十考えても、そのうち本当のものである可能性は一つぐらいしかない。その可能性の中で、さらにまた本当のものは十分の一だ。だから百分の一という数値は可能性の中の可能性だともいえる。可能性の可能性というのは、これは希望のことなのだ。つまり、こんなふうにあってくれないかなあ、というのを描いているにすぎない。
確かに、カエルにしたって、卵から孵化して幼体のおたまじゃくしの時期を生き延びてカエルとなり、親ガエルにまでなれるのは、やはり全体の1~2%なのだそうですから、逆に言えば10か20そこらアウトプットしたくらいで、ものにならないと嘆いているのは実に人間的であって、少なくとも宇宙的ではないのでしょう。
その意味で今週のみずがめ座もまた、岡のように大自然のやり方に従って、自身の中に「可能性の可能性」を探ってみるべし。
みずがめ座の今週のキーワード
幾重にも交錯している螺旋軌道に乗っかる