みずがめ座
並行世界のはざまで
「弱き者」のストーリー
今週のみずがめ座は、映画『ジョーカー』の主人公が抱えていたもののごとし。あるいは、「新自由主義への反動」という文脈を改めてなぞっていこうとするような星回り。
2019年公開の映画『ジョーカー』を振り返ってみると、主人公のアーサーはすべてを失っていくことによって逆説的にヒーローになっていったという点で、既存のヒーローとは対極的な存在でした。
彼は道化師の職を解雇され、福祉サービスのカウンセリングも打ち切られ、場当たり的な殺人を犯したことで社会からも締め出され、そしてなにより決定的だったのは、母親から聞かされていた自分の出生のまつわる物語がまったくの虚偽であったことを突き止めてしまったことで、自分の人生そのものがジョークであり、出来の悪いコメディに他ならないことに気づいてしまいます。
かくしてアーサーはジョーカーとなり、彼を笑いものにしたテレビの大物司会者を生放送中に殺してメッセージを発し、それが特権階級の金持ちに対する怨嗟や行き場のない情動をためこんでいた市民の一部(持たざる人びと)に熱狂的に支持されたことで、はからずもカリスマとなります。
これはリーマンショックと同じ年である2008年に公開された『ダークナイト』に登場した、テロを引き起こすことで市民を恐怖に陥れる悪党としてのジョーカーともじつに対照的なのですが、同様の指摘をしていた評論家の木澤佐登志は『失われた未来を求めて』の中で、この映画をめぐるエッセイを次のように締めくくっています。
本作が1981年のゴッサムシティ(≒ニューヨーク)を舞台にしていることも示唆的である。1981年といえば、アメリカのロナルド・レーガンによる、現在まで続く新自由主義―資本主義リアリズムの形成にとっての始まりの年である。しかし、『ジョーカー』は私たちにあり得たかもしれないパラレルワールド―失われた未来―を幻視させる。それは、所有せざる人びと、換言すれば貧しき人びと、病まざるをえない人びと、不当に搾取され抑圧されている不可視の人びととの間での連帯と蜂起である。弱き者たちよ、立ち上がれ、今こそストリートへ踊り出すときが来た。
12日に自分自身の星座であるみずがめ座で下弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、そんな失われた未来に生きるひとりの道化として、自身の抱える悲劇性と喜劇性とがいかに生じ、どこに起源をもつものなのか、改めて振り返ってみるといいでしょう。
『ファイト・クラブ』と911
『ジョーカー』よりさらに遡ること20年前、1999年公開の『ファイト・クラブ』はどうだったでしょうか。
タワマンに住み巨大自動車メーカーのクレーム処理係として働く主人公(エドワート・ノートン)は、瀕死の病人になりすまし病魔におののく患者たちの会を渡り歩いては「死にゆく者の高揚」に溺れる日々を送っていましたが、そんなある日、彼の前に筋肉質で暗い陰影をたたえる謎のセールスマン(ブラット・ピット)が現われます。
素手で殴りあう奇妙なクラブを組織する彼は、やがてタワマンを破壊する計画に没入していき、ラストシーンではついにメガタワー崩壊に成功させたかと思いきや、最上階で計画を阻止しようとした主人公に殺されます。と同時に、彼は主人公から分裂した別人格であることが判明するのです。
とはいえ、死にゆく者たちの患者会に通っていたのも、地下の秘密クラブで肉体と体力ギリギリのところまで殴り合っていたのも、戦場で恐怖や不安に追い詰められた者がドーパミンが噴出するドラッグに手を出して心理的恐慌性を免れようとするのと同じだったのかも知れません。
映画の公開の約2年後には、テロ組織アル=カイーダによる自爆テロにより、ワールドトレードセンター崩落、いわゆる911が起き、その乱流は今なお続いています。今週のみずがめ座は、そうした大きな時代のうねりを頭に叩き込んだ上で、改めて自分自身の立ち位置や系譜を確認していくべし。
みずがめ座の今週のキーワード
1999→2019を振り返る