みずがめ座
砂上の楼閣を崩す
現実味のでこぼこ感を取り戻す
今週のみずがめ座は、待ち伏せへの迎撃。あるいは、いつの間に切り捨て、忘れてしまっていた現実の一部を回収していこうとするような星回り。
昨今の「SDGs」という言葉やその使われ方に、あまりにも綺麗に整い過ぎたメッセージ性を感じて、逆になんだかモヤモヤしてしまう人も少なくないのではないでしょうか。個人的には、これに近い違和感を覚えたものに、かつて村上春樹が行ったオウム真理教の元信者へのインタビューが挙げられます。
彼らはいずれも自分たちの正しさの担保のためにこちらがうなずくといったリアクションは必要とするものの、「それおかしんじゃない?」といったツッコミには一切応じようとしませんでした。むしろ、おかしいんじゃないと言われたら、自分がおかしくないことを証明しようとするし、自分の頭の中にある答えを変える気がなかった訳です。そして、そんな彼らの話を聞き続けた後、村上は次のように述べました。
現実というのは、もともとが混乱や矛盾を含んで成立しているものであるのだし、混乱や矛盾を排除してしまえば、それはもはや現実ではないのです。(…)そして一見整合的に見える言葉や論理に従って、うまく現実の一部を排除できたと思っても、その排除された現実は、必ずどこかで待ち伏せしてあなたに復讐することでしょう。
2月6日にみずがめ座から数えて「エンカウント」を意味する7番目のしし座で満月を迎えていく今週のあなたもまた、いびつな現実の亀裂や歪みをごまかすことなく、みずからの鼻をきかせ、探り当てていきたいところです。
行基はえらい、智光はすごい
ここで思い出されるのが『日本霊異記』に収録されている「智者の変化の聖者を誹り妬みて、現に閻羅の闕(みかど)に至り、地獄の苦を受けし縁」というエピソードです。
なんだか長くて難しいタイトルですが、これは行基という素晴らしいお坊さんのことを妬んでいた智光というお坊さんについての話で、とても知恵のある人だったのですが、行基がみんなに尊ばれて大僧正にまでなるので嫉妬を抑えきれなくなって、つい自分のほうが優れているのにとか、あることないこと悪口を言っていたら病気になって死んでしまった。
それで閻魔の宮殿に行って地獄で拷問されて苦しみを受けるのですが、その際、西の方に立派な楼閣が見えるので、これは誰がお住みになられているのですか?と聞くと、「お前は知らんのか、行基菩薩が亡くなられたら住まわれるのだ」と聞く訳です。結局、智光は死後9日目に生き返って、行基に謝り助かるのですが、この世に何かしているあいだに、あの世でも何かができているという話は、仏教の広まる前から割と出てきます。
心理学者のジェイムズ・ヒルマンが「ソウル・メイキング(魂つくり)」ということを言っていたのも恐らくこのことで、自分で家をつくったり、家族をつくったり、この世で目に見えるものをつくっているあいだに、魂の方も目に見えないなにかをつくっていて、それらは表裏一体なのです。これはひっくり返せば、この世であこぎなやり方で儲けていると、向こうではだんだんボロ屋ができているということでもあります。
今週のみずがめ座もまた、「何を為すべきではないか」という視点から自身の来し方行く末について、改めて考えてみるといいでしょう。
みずがめ座の今週のキーワード
妬心(としん)の尊さ、すなわち真剣の美