みずがめ座
体感と予感
爽快さと滑稽さと
今週のみずがめ座は、『遠くまで行く秋風とすこし行く』(矢島渚男)という句のごとし。あるいは、みずからの色眼鏡をひょいと外していこうとするような星回り。
「秋風」とは単に秋になると吹く風のことではなく、別れを前に憂いを帯びた風であり、和歌の伝統では、しばしば恋の心変わりや哀傷といった心の翳りをにじませて詠まれてきました。
掲句はそうした伝統を踏まえつつ、前半まではあえて「遠くまで行く秋風」とニュートラルな気象上の表現を打ち出しつつも、後半に入って「秋風とすこし」だけ行動をともにするという所作のうちに、さりげなくさみしさを露呈してみせます。
無常の移ろいをもたらす秋風を完全に受け入れ、それに乗って行動していくほどの度量はちっぽけな人間には持ちえないけれど、すこし行動を共にしていくことならできるかも知れない。そこに爽快さと、滑稽さとを同時に感じてしまえるところにこそ、人間存在の奥深さがあるのではないでしょうか。
その意味で、世上に吹く秋風とは、さまざまな意味でとかく思い込みや視野の狭さに陥りがちな人間の目を醒ましてくれる神の恩恵のひとつなのだとも言えます。
9月4日にみずがめ座から数えて「精神的感応」を意味する11番目のいて座で上弦の月(行動の危機)を迎えていく今週のあなたもまた、さわやかな秋風と自分なりの歩幅で行動を共にしてみるといいでしょう。
不可能な何ものかに対しての予感
おそらく私たちが何か大事なことを解りかける時というのは、すべからく孤独な状態にあるときなのではないでしょうか。つまり、安易な交わりで繊細な何かが立ち消えてしまうことがないような、怜悧な空気感に魂でじかに触れた時に初めて、目に見えない真の交わりへと開かれていくのだ、と。
このことについて、心理学者のユングは最晩年に出された『ユング自伝』において、次のように言及しています。
われわれがなんらかの秘密を持ち、不可能な何ものかに対して予感を持つのは、大切なことである。それは、われわれの生活を、なにか非個人的な、霊的なものによって充たしてくれる。それを一度も経験したことのない人は、なにか大切なことを見逃している
ユングからすれば、恋人であれ友人であれ個人的なものによって充たされる経験は本質的に自分だけの魂の秘密にはなり得ないものであり、その点おそらく掲句の「秋風」とは、自分のもとに飛び込んできた「不可能な何ものかに対しての予感」であり、魂の秘密を持つということと表裏一体であるはず。今週のみずがめ座もまた、少しでもそうした境地に立っていきたいところです。
みずがめ座の今週のキーワード
なにか非個人的な、霊的なもので生活を充たすこと