みずがめ座
有機的な連なりにのって
カンカンカン…
今週のみずがめ座は、グルーヴタイムへの突入。あるいは、同じことの繰り返しによって生じてくる<有機的なもの>が溢れ出してくるような星回り。
思想家のロラン・バルトは『第三の意味―映像と演劇と音楽と』(1982)のなかで、しるしを刻まれた有徴のもの(例外的なケース)の絶えざる出現と、無徴のもの(普通とされていること)の絶えざる後退を運動(いま)として持続させることこそが、人間性の根本なのだとして次のように述べました。
文字が発明されるずっと以前に、さらには、洞窟画が描かれるずっと以前に、おそらく根本的に人間と動物とを区別する何事かが生じたのだ。それはリズムを意図的に繰り返すことである。(……)砕石の刻み目や槌で打たれて多面体化した球が証明するように、人間の作業の特徴は、まさに長く繰り返されるリズミカルな衝撃音なのである
眠りと目覚め、緊張と弛緩、滑りと遅れ、流動と制御、持続と宙づり――。
私たちはそうした繰り返されるリズムと一体化していくなかで、それに受動的に運ばれると同時に、それを対象化して能動的に拍節を刻むのであって、その意味でリズムとは時間の内部にあって時間を超える契機に他ならず、時間の<外>へ飛び出していくきっかけを人はリズムの中にこそ見出していくのではないでしょうか。
その意味で、8月12日に自分自身の星座であるみずがめ座で満月を迎えていく今週のあなたもまた、「リズムにのる」という言葉の意味するところを、仕事であれプライベートであれ改めて実感していくことができるかも知れません。
クレメンタインの歌
ネサランア ネサランア(おお愛よ、愛よ)/ナエサラン クレメンタイン(わがいとしのクレメンタインよ)
ヌルグンエビ ホンジャトゴ(老いた父ひとりにして)/ヨンヨン アジョ カンヌニャ(おまえは本当に去ったのか)
敗戦によって突如「日本人」から「朝鮮人」へと押し返されるというアイデンティティークライシスを少年期に経験した詩人の金時鐘は、はじめて父親からこの歌を聞かされた時から30年以上の歳月が経過した1979年に発表したエッセイ「クレメンタインの歌」を、次のように結んでいます。
誰が唄いだして私にまできた歌なのか。どうあろうとこれは私の「朝鮮」の歌だ。父が私にくれた歌であり、私が父に返す祈りの歌なのだ。私の歌、私の言葉。このかかえきれない愛憎のリフレイン――(同上)
彼にとって、父がその生き方をかけて唄っていたクレメンタインの歌は詩に他ならず、それは後にそれに匹敵するものを自分もまた生み出したいと思うに至った大きな課題でもありました。今週のみずがめ座もまた、そうした自分を貫いているリズムのようなものが、自然と現れ出てきやすいかも知れません。
みずがめ座の今週のキーワード
リズムとは時間の内部にあって時間を超える契機に他ならない