みずがめ座
変わりつつあるわたしかな
動詞に巻き込まれる
今週のみずがめ座は、「酒を煮る家の女房ちよとほれた」(与謝蕪村)という句のごとし。あるいは、「するかされるか」ではなく「内か外か」を大切にしていくような星回り。
「酒煮(さかに)」とは、暑い時期になると貯蔵がきかなくなる酒に「火入れ」と称して初夏に熱を加える作業のこと。その日は「酒煮の祝い」といって、お祭り的に誰にでも酒が振る舞われたのだそうです。
ただ、掲句の主役はそんな宴席に出ていった先の女将(おかみ)さんでしょう。もてなしに出てくれた彼女の立ち居振る舞いに、他人様の女房ながら「ちょと惚れた」。
この「ちよとほれた」というのはてまり唄の文句から借りてきたものらしく、おそらくこちらが先にあって、他の部分は後からついてきた句なのでしょう。というのも、「ちょと惚れる」という行為は、自発的にしようと思ってできるものではなく、かといって強制されて同意することで可能になるものでもないからです。
つまり、それは“するかされるか”という問題ではなく、“その過程のさなかにあるか外にいるか”こそが問題で、掲句ができあがるのと前後して、作者はみずからの欲望によって突き動かされる自然ないきおいの過程にみずからがあることを悟ったのではないでしょうか。
20日にみずがめ座から数えて「他人事」を意味する7番目の星座であるしし座で上弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、そんな風にその中にあることで自分自身も変わっていく過程としての何らかの動詞に巻き込まれていくことになるかも知れません。
夢のさ中へ
日本では昔から恋の唄で「夢の通い路」や「夢路」といったことがしばしば歌われますが、これは夢には魂のかよう路があるという古い考えによっており、かの聖徳太子が寝殿のかたわらに「夢殿」という名の八角堂を建て、事あるごとにそこに忌みこもって眠ったのも(七日七晩こもった記録も)、すべてそこで神仏のお告げを受け取らんとしていた訳です。
西郷信綱の『古代人と夢』によれば、「古代にあっては夢はたんに自然的に見られるだけでなく祭式的に乞われたのであり、しかも古代人はこの後者の方をいっそう大事としていた」のだそうですが、祭式である以上、日常とは違う手続きを要求され、それは例えば「浄休して祈みて寐たり。各夢を待つ」(崇神紀)という記録などにも垣間見られます。
誤解をおそれずに言えば、例えば「ちよと惚れた」体験を俳句にして詠むということもまた、「日常とは違う手続き」の一種であったのではないでしょうか。
今週のみずがめ座もまた、文芸であれ夢見であれ何であれ、自分なりの「日常とは違う手続き」を経ることで、今の自分に必要な変化変容を加速化させていくことがテーマとなっていくでしょう。
今週のキーワード
ちよと惚れた