みずがめ座
まだ世が知らぬ価値を
フェリーニのイメージ世界
今週のみずがめ座は、フェリーニの自伝的ともいわれる「アマルコルド」のごとし。あるいは、いつまでも夜が明けないような濃い霧の中に立っていくような星回り。
イタリアのロマーニャ地方を舞台にしたこの映画には、主人公の少年の一家がある夏の一日、精神病院に入っている叔父さんを田舎の農場に連れていくエピソードが出てくる。
ちょっと油断した隙に叔父さんはするすると木を登っていき、みなで一刻も早く下ろそうと苦心する様が、農家のもの憂い昼下がりの時間の経過と交差して語られていく。「女をよこせー!」と木の上で恥も外聞もなく叫び続ける叔父さんは、日が暮れかかってきても一向に降りてくる気配はない。とうとう使いを出した精神病院から迎えが来て、不思議なこびとのシスターが、ちょこちょことはしごを駆け上り、何か一言二言ことばをかけると、さんざん手を焼いていた叔父さんがじつにあっけなく降りてくる。いったいあれはなんだったのだろう。
イタリア人というのは、どうも自分にはとても真似できないし、なれもしない、ある意味では常軌を逸した、目を見張る出来事や人たちへの驚嘆と尊敬の交錯するような精神をとても大事にする文化が深く根付いている。だが確かにフェリーニが豊かさの溢れる映像で描いてみせた「アマルコルド」の世界に入っていくと、こういう人たちがいてこそ人間世界はほんとうに人間らしくなるのだということが身に沁みて分かってくるように感じられる。
15日にみずがめ座から数えて「世に誤解されている事柄」を意味する12番目のやぎ座で、下弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、世間がまだ気付いてないか、意図的に無視している価値の側に立って、改めてそれらと向き合っていくことになりそうだ。
無法者の系譜
アーティストやクリエイターの歴史をみればわかるように、古来より「何を知り、何を為すべきか?」という問いに対し社会が用意する答えや役割にハマらず、余計なことばかり知りたがり、やりたがる者たちによって、文化の多様性は耕され、育まれてきました。
日本神話のアマテラスに対するスサノオのように、彼らはしばしば無法者や乱暴者とされ、お上から規定された定位置から追放され、ふらふらとさまよっているうちに、創造性の種を撒いていったのです。
今週は「~すべき」といった意識の呪縛や固定観念をできる限りほどいていくつもりで、精神に「遊び」をつくっていくことを心がけてみて下さい。
この世界を少しでも人間が人間らしく過ごせる世界にするためにも。
今週のキーワード
スサノオ的成熟