みずがめ座
花が生きる演出を
世界構築の立体性
今週のみずがめ座は、「筍や雨粒ひとつふたつ百」(藤田湘子)という句のごとし。あるいは、五感全体を使って、自分なりの世界観を構築していこうとするような星回り。
「筍」は夏の季語ですが、「雨後の筍」という言葉もあるように、雨の後には筍がぐんぐん成長し、地中に埋もれていた筍がここにもあそこにも一気に地上へ飛び出してくるもの。
掲句では最初に「筍や」と切り出して想像させておいてから、「ひとつふたつ」とぽつりぽつりと雨が振り出した様子を表し、そこから一気に「百」という数字をもってくることで、雨が激しくなっていったことを表現されています。
そこではごく自然にザーッという雨音や、ゴロゴロという雨雲なども連想され、「筍」の視覚的な面白さに加えて聴覚による立体的な臨場感が立ちあがっていくのが感じられるはず。
多くの言葉で語られずとも、ここには何か作者のほとばしるような心の動きや、逸る思いが「表現」されている。
自分から数えて「変化の促進」や「コミュニケーション」を意味する3番目のおひつじ座で下弦の月が起きていく今週のあなたも、こうしたある種の「演出」をみずからに取り入れていくことが課題となっていくでしょう。
それは思考や言葉変重の在り方を、より体感重視の在り方へとシフトさせていくということでもあります。
世阿弥における「花」
能の大成者・世阿弥が著書の中で「花と、感興と、新鮮さと、これら三つは同じことである」と言うとき、この「花」とは実際の花ではなく「生命力の発現」のこと。
それは年齢をこえて生きてくる芸の力でもあって、何事につけても新鮮さをもって何かを表現することを体得する以外に<まことの花>というものはないのだ、という独自の芸能観がベースにあったようです。
つまり、世阿弥にとってすべてのアートや表現(=花)というのは、私たちのこころに新鮮さを呼び起こすと同時に、それがそのまま神事となって魂を鎮めてくれるものでなければならないし、そうであってこそ人を深いところで感動させることができるのだ、と。
これは逆に言えば、いくら才能や実力があっても、本人の持ち味が活かされる場所やタイミング、シチュエーションなどの演出を外してしまえば、花とはなりえないということでもあります。
自分の発する言葉や振る舞いが、誰かのこころを鎮める神事となるまで、生命力を練り上げ、そして一気に花咲かせていくこと。今週のあなたに与えられたテーマは、そんな風にも言えるかも知れません。
今週のキーワード
神事としてのアート