おとめ座

分離と逃走
2019年はおとめ座にとって、目の前の事実やこれまで受け入れてきた現実に対する違和感が次第に大きくなっていった時期だったのではないかと思います。
このまま惰性で流されていいのか、やはりみなと同じ道を歩いていくべきなのか、立ち尽くしてしまったこともあったかも知れません。その意味で、2020年上半期はあえて「けもの道」に足を踏み入れることで、常識的現実から離脱し、望ましい未来への抜け道や近道を決定的に歩み始めていくことが大きなテーマとなっていくでしょう。
道なき場所に道ができるかどうかの鍵は、はじめに「道らしい景色」が出現することにあります。つまり、はじめ“それ“はかすかな景色の“破れ目“であり、やっと一人通り抜けれるかどうかのわずかな隙き間に過ぎず、大抵の場合、群れから離れていく個体の逃走路であることがほとんどなのです。
とはいえ、焦りは禁物。道なき道を何度も繰り返し踏み固め、樹々の枝や茂みを丁寧に脇に分けるような地道な作業や、先のことまで見越した逃走ルートの確認作業をできるだけ入念に行っていきましょう。
2020年上半期、各月の運勢
1月「サバイブしていくための自己表現」
1月13日は、いよいよやぎ座で太陽と土星と冥王星が重なります。これは「教訓的なサバイバル」を意味する配置で、だいたい三十数年に一度起こる大きな節目の時であります。おとめ座にとって「自己表現」を意味する場所でこの邂逅が起こっていくため、書いたり伝えたり思いをぶつけていくことを通して、生まれ変わるような経験をしたり、これからのリアルを生き延びていくための力を得ていくことができるかも知れません。ただそれは、完璧なもの、認められるものしか見せたがらないという心のブレーキをいかに克服していけるかという試練との闘いの果てにはじめて手に入るものでもあるはずです。
2月「秘めた力の解放」
2月16日には木星・土星・冥王星という非常に強力な3つの星に続いて、闘争とリビドーの火星もやぎ座へ入っていきますが、これはおとめ座のあなたにとって非常に心強い援護射撃と言えます。ここからまったく新しい挑戦や、誰もやったことのない試みを始めていくも良し、普通の人なら投げ出してしまうような面倒にあえて首をツッコんでいくも良し。心の深部に秘めた狂気を有するおとめ座の本領を発揮していくには、絶好のタイミングとなっていくでしょう。
3月「熱中と逸脱」
3月9日におうし座で愛着や趣味を司る金星と、革新の天王星が重なっていきます。この期間は、新奇なムーブメントに熱中したり、マイナーな思想や運動、哲学にハマって、これまでの自分の中の常識や古い価値観を転倒させていこうという衝動が出てきやすいでしょう。周囲からは「またヘンなものに入れ込んで」と眉をひそめられるかも知れませんが、見せかけの幻影に目をくらまされ不毛な人生を送り続けるよりはよっぽどマシと、開き直ってしまえばよいのです。
4月「夢と現実を架橋する」
4月23日はおうし座3度で新月が起こっていきます。サビアンシンボルは「虹のたもとの黄金の壺」で、宇宙的な豊かさの感覚が満ち溢れて何らかの確信を得ていくことがテーマ。
想像力が果てしなく広がっていくと同時に、それが現実的な自分とも結びついていきやすいタイミングですから、改めて自分なりの信念をまとめた上で、これからの「逃走ルート」を練っていくにはもってこいでしょう。普段は「新月の願い」で実現したいことリストなど書かないという人も、この機会に試してみるといいかも知れません。
5月「危険な好奇心」
5月12日におとめ座と対向星座であるうお座へ、情熱とリビドーの火星が入っていきます。ここからしばらくのあいだは「誰からも理解されない」と、どこか突っ張ってしまいがちなあなたにも、多大な共感を寄せられたり、現実的な救いの手が差し伸べられたりといったことが起こってきやすいでしょう。もちろんそれは、あなたの心を大いにかき乱し「パワーを奪う」べく干渉してくる脅威にもなりえる訳ですが、この時期のあなたならば、そうしたリスクある関係性にもあえて踏み込んでいく冒険心がくすぐられやすいはず。
6月「総決算であり答え合わせ」
6月21日の夏至の日に、かに座で日食新月が起こります。かに座はおとめ座から数えて11番目の位置にあり、これは「中長期的な展望やビジョン」を表し、それが人的なネットワークを通してもたらされやすいタイミングと言えます。おそらく、ここ数カ月のあいだにあなたがどんな「道らしい景色」を見聞きしてきたかで、開けてくるビジョンも、きっかけとなる繋がりも、まったく変わってくるはず。その意味では、2020年上半期の総決算であり、答え合わせともなっていくでしょう。
2020年上半期、おとめ座に口癖にしてほしい言葉
「私はただひとりでしみじみ嗅ぐ。さうすると私は遠いところへ運ばれてしまふ。私が生まれたよりももつと遠いところへ。そこではまだ可能が可能のままであつたところへ。」
覚えるのは最後の「可能が可能のままで」の箇所だけでも大丈夫です。これは、「偶然」や「いき」ということを大真面目に論じようとした九鬼周造の言葉ですが、結局その真骨頂は、「もののはずみ」「たまたま」「ふと」「なつかしさ」の感覚と隣り合わせのところにこそありました。この脱力感は、今期のおとめ座が必要としているものとどこか相通じるところがあるはず。

