isutaでは今週も、SUGARさんが贈る週間占いを配信。
2020年下半期の運勢も配信しているので、こちらもぜひチェックしてくださいね♡
今週のおひつじ座の運勢
現実はゆらぐよゆらぐいつまでも
今週のおひつじ座は、何かが心の琴線をビュンビュンとならしていくような星回り。
「かなしさや釣りの糸ふく秋の風」(与謝蕪村)という句で使われている「かなし」が意味するのは、「sad(悲しい)」だけではありません。愛する、慈しむという意味での「愛(かな)し」、そして見事だとか感動したという意味での3つの意味が同時に込められているのです。
昔の人は仕方ない、避けられないことを「かなしい」という言葉に込めてきました。掲句でも、他の生物を殺すことでしか存在しえないという人間の根本的矛盾、これが悲しいのであり、さらに糸を介して生きるものと死ぬものとが接していて、その境界線を秋風が吹きぬけていくことでそれが初めて心の琴線に触れていく。それが「愛(かな)し」ということなんです。
今週のあなたもまた、単純に楽観的でも悲観的というのではない、何か自分が今後も存在していくことにまつわる複雑な感情をしみじみと感じ入っていくことになるかもしれません。
今週のおうし座の運勢
企てながら、投げ込まれ
今週のおうし座は、過去の足跡から未来の方向性が開けていくような星回り。
哲学者のマルティン・ハイデッガーは、自由意志とは関係なく、否応なしに既に舞台世界に投げ込まれ、演技してしまっていく側面を「被投性」と呼びました。一方で舞台上の文脈や約束事を暗黙裡に察知して、仕事を企てていくことを「投企」「企投」と呼び、役柄を舞台世界に即しながら演じ込んでいく在り方を「被投的投企」と呼んだのです。
どこかで「これは単なるお芝居さ」などという想いがよぎれば、一気に足は止まります。つまり被投的投企を続けていくためには、必ず「これはお芝居である」という覚醒を抑えるだけの<眠り>が必要になってくるということ。
今週のあなたは、どうもそうした<眠り>がより深く強くなっていく傾向にあるようです。いつか終わりのくる熱演の時間ですが、いかにそこへ入り込んでいけるか、俳優としての真価が問われてくるタイミングと言えるでしょう。
今週のふたご座の運勢
息やすらかに手は休めず
今週のふたご座は、さりさりとただ恬淡と生きていくような星回り。
「柿むいて今の青空あるばかり」(大木あまり)という句は一見単純なように見えますが、この句に命を与えているのは、前五の「柿むいて」の無作為性でしょう。つまり作為的なにおいが一切なく、ただ手慣れた手つきでさりさりと、何の思い入れもなく柿をむいているだけ。
そして、そんな手元のとどこおりのない手さばきとは別に、窓の向こうに「今の青空」が広がっている。だから何だという訳ではないのですが、「あるばかり」とはそういう情景のことなのではないでしょうか。
そこにスッーっとした静かで深い呼吸のようなものが通っている訳です。今週のあなたもまた、自分なりの「柿むいて」の境地を模索してみるといいでしょう。
今週のかに座の運勢
街の中に隠れる
今週のかに座は、どうしたって隠れることの難しい現代社会において、世間の普通と反対のことに励んでいくような星回り。
『方丈記』の昔から、この国にはたとえ人生でどんなに栄華を極めようと、最後は名声も、家や家族も捨て、山で小さな庵を編んで、つつましやかに暮らしながら最期を待つのが何よりの幸せという、美しい理想がありました。
今やそうした理想は現実味を欠いた絵空事のような扱いを受けるようになってしまいましたが、今でもそうした理想に向かって人生をたえず整えたい、踏み出していきたいと考えている人たちは一定数いるのではないでしょうか。
慌ただしい東京の中で例えばごく小さな部屋を借り、必要な分だけ働いて、あとは本を読んだり音楽を聴いたりして静かな毎日を過ごしている人が、今もなお少なからずいるとしたら。この国もまだまだ捨てたもんじゃないなと思えるはず。あなたもまた、そんな「街の中に隠れる」遊びに興じてみるのも悪くないでしょう。
今週のしし座の運勢
鮮やかな対比を
今週のしし座は、まだ周囲の誰も評価していないようなものに価値を見出していくような星回り。
「世の人の見つけぬ花や軒の栗」(松尾芭蕉)という句において、芭蕉は世間の人が見出さない栗の花の美を、積極的に見出して詠んでいます。それは「栗」という字が「西」に「木」という字から出来ており、どこか死を連想させるからということも関係しているのではないでしょうか。
また掲句は漂泊者である芭蕉が、栗の木の下で隠棲をつづける僧・可伸を訪ねていった際に生まれたもの。弥生時代からの稲作文化のただ中にあって、あえて狩猟採集文化の縄文時代にもっとも重宝されていた栗の木を頼って生きる生き方もあるのだという発見をしたということでもあったはずです。
今週のあなたもまた、自分と対照的な立場や営みをしていながらも、互いの価値を引き出しあえるような他者と積極的に関わっていきたいところです。
今週のおとめ座の運勢
織物としての日々の営み
今週のおとめ座は、日常を縦糸と横糸の織物として捉え直していこうとするような星回り。
女性画家ジョージア・オキーフは、60を越えてから亡くなるまで米・ニューメキシコ州の砂漠に住み続けたそう。早朝に30分の散歩をしてから7時に朝食をとり、アトリエへ行って正午の昼食をのぞいては一日中仕事をし、16時半に軽い夕食をすませて、たっぷりと大自然の中をドライブをしてから寝るというスケジュールを好んだと言います。
ただその一方で、絵を描かない日は、生きていくためにしなければいけないことを慌ただしく片付けていたそう。彼女にとっては絵を描くことがいちばん楽しいことであり、ある意味で、そのために他のすべてのことをやっていたのだといいます。
「絵を描くことは、わたしの生活を作っているすべてのものの意味を貫く糸のようなもの」(リサ・マインツ・メッセンジャー『ジョージア・オキーフ』)今週のあなたもまた、自分なりの糸をキュッとしめ上げていきたいところです。
今週のてんびん座の運勢
堂々と魔がさすまま
今週のてんびん座は、のんきな顔で大胆に切り抜けていくような星回り。
「魔がさして糸瓜となりぬどうもどうも」(正木ゆう子)は、思わず笑ってしまう一句。作者がのっぺりと長い実を垂れ下げる「糸瓜」のようなのんきな顔で、バツが悪くなった状況に「どうもどうも」と挨拶を入れていくのは、なかなかどうして大胆な振る舞いのようにも思えてくるから不思議です。
生きている人間の顔というのは、思った以上に真面目な顔をしていて、だから周囲としても真面目な顔をせざるを得ませんが、相手が「へちま」となれば、こっちだって「ひょうたん」だったり「からすうり」であってもいい訳ですから、気が楽になるというもの。
そう考えると、案外「へちま」になってみせることができるのも一つの立派な芸と言えるかもしれませんね。今週のあなたもまた、のびのびと「魔がさす」自分を周囲へさらしてみるといいでしょう。
今週のさそり座の運勢
重荷と難題
今週のさそり座は、みずからの心を育んでくれる言葉や人物の気と繋がっていくような星回り。
「身軽足軽、人を創らず」という言葉は、戦国時代、今川の人質であった若き徳川家康の教育を任され、家康の才能をいち早く見抜いて深く愛し、その心を育んだとされる今川家の重臣・太原崇孚(たいげんすうふ)、通称「雪斎禅師」のもの。
家康は、多くの重荷を背負って生き切った人物として知られていますが、雪斎は「背負う荷がほとんどなくて、身が軽く自分勝手に生きている人などにひとかどの人物はいない」ということをよく分かった上で、あえて家康に対して次々と難題をおしつけました。しかし雪斎と家康は、固い友情と尊敬で結ばれた絆を保ち続けたのです。
ひとかどの人物になる道は“誰か他の人物を尊敬することによって、その人物が背負っている荷が見えるようになり、自分もまた荷を背負うことを厭わない人間になっていく”もの。2人はをそれを互いへの信をかけてやりきったということなのでしょう。あなたもまた、信と引き換えの荷を改めて引き受けていく覚悟を固めていきたいところです。
今週のいて座の運勢
言葉を噛みしめつつ
今週のいて座は、なんとはなしにみずからの来し方行く末に思いが広がっていくような星回り。
「一生の手紙の嵩(かさ)や秋つばめ」(田中裕明)は、45歳の若さながら白血病で亡くなった作者晩年の句。「一生の手紙の嵩や」という言い方には、長寿をへて死への諦念を迎え入れていく人とは、また別の無念の思いが滲み出ているように感じます。
作者の脳裏には、手紙の一通一通につづられた思いや、刻まれた月日のことが飛燕の如くよぎっていったに違いありません。おそらく、多過ぎもしなければ、少なすぎもしない。それくらいの嵩であることが、余計に心惜しさを引き立てます。
今週のあなたもまた、現在を中心に過去と未来へ触れていく言葉の振れ幅を可能な限り開いていくことがテーマと言えるでしょう。
今週のやぎ座の運勢
本能と野蛮
今週のやぎ座は、どうしたって不自然にはみだして自分自身を受け入れていこうとするような星回り。
心理学者の河合隼雄がどこかでユングの言葉として「ヒューマン・ネイチャーはアゲンスト・ネイチャーだ」という言葉を紹介していました。感染症やウイルスもひとつのネイチャーだとしたら、それらと抗うことで生き延びようとしている人間たちはまさに「自然に逆らう存在」としての「アゲンスト・ネイチャー」に他ならないはず。
もちろん人間は矛盾した存在ですから、どこかで自然と同調し、自然のために(フォー・ネイチャー)存在している部分も持ち合わせていますし、そうでありたいと願って菜食主義を貫いたり、リサイクルへの配慮を心がけたりしていく人も多い訳ですが、それでも、どうしたって自然に逆らい、彼らとの調和からはみだしてしまう。
それを悪だ罪だと見なし過ぎれば、私たちは満足に日常生活を送ることができなくなってしまうでしょう。今週のあなたもまた、自分がどうしても捨てられない資質や趣味趣向について、改めて肯定していくことがテーマとなっていきそうです。
今週のみずがめ座の運勢
必要な回り道
今週のみずがめ座は、ゆっくりと新たな何かが始まりつつあるのを感じ取っていくような星回り。
それはまるで「水中をさらに落ちゆく木の実かな」(鈴木鷹夫)という句のよう。水の抵抗を得たことで落下の速度は変わり、微妙に遅くなっていくのを作者は感じ取る一方で、木の実がそこについたところは描かれず、おそらく作者の想像のなかでは永遠に落ち続けていくのではないでしょうか。
これと似たような経験が、子供の頃に聞いた消防車のサイレンにも言えるかもしれません。家の前を通過するまではあっという間に迫ってくるのに、家のなかで耳を澄ませてそれを聞こうと集中している現在という一点を過ぎた瞬間から、明らかにサイレン音が間延びしてゆっくりと経過していく。
どこかで、この消防車はいつまでも目的地へとたどり着くことなく、夜の道を走り続けていくのではないかと思った記憶があります。今週のあなたもまた、どこかで自分自身やそれが存在している<今ここ>の瞬間に立ち返っていく契機に直面していきやすいはず。
今週のうお座の運勢
落とし物はないですか?
今週のうお座は、意識からとうに失われた因縁の糸口を再び見出していこうとするような星回り。
人生を旅だとすれば、それは「捨てる」ことの連続だと言えます。故郷や親、友や家や夢を捨て、あんまり捨ててばかりいくので、やがて何もかもが流れる風景の一つのようになっていき、やがて走馬灯というものが出てくる。
しかし、ここで一つ視点を下に向けてみましょう。つまり、そんな流れ雲のような自分もいれば、誤って落としてしまった遺失物を拾いながら雲を追っていくような自分もいるのだと。そしておそらく、人が自分らしい人生を取り戻していくのはそういう時なんだと思います。
今週のうお座は、そんな後者の自分の姿が色濃く浮かび上がってくるようなところがあるでしょう。いつかどこかで落としてしまった無くしものを取り返す。人生は「拾う」ことの連続でもある。そんな思いがむくりと顔をもたげてくるはずです。
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