おうし座
外から内へ
真に内側にあるものを感じるために
今週のおうし座は、『ガラス戸の遠き夜火事に触れにけり』(村上鞆彦)という句のごとし。あるいは、逆説的に浮かび上がってくる“なまなましさ”を大事にしていこうとするような星回り。
燃えさかる火事に触れようとしてみても、その指先から伝わってくるのは冬のガラス戸の冷たさばかり。当事者はもちろん、実際に近くで見れば激しく、痛ましいはずの出来事であるはずなのに、そうしたなまなましさはここでは一切捨象されています。
ガラス戸の向こうに見えるのは、闇のなかにチロチロとゆらめく小さな赤い炎だけ。その姿は山奥の静かなキャンプ場でする焚火のようで、荘厳な美しささえ感じられてくる。それが作者なりの対象とのとり方なのであり、少なくともここでは“この世”はそのようなものとしてあるのです。
考えてみれば、触覚というのは対象に触ったときにはねかえされる弾力感にその特徴があり、ともするととどまることを知らずにどこまでも流れ出してしまう意識に、その限界を告げしらせることで自己の“内側”とその“外側”との境界線を浮かび上がらせていきます。
掲句においても、頭で受けとる情報としての火事に反して、なまなましい現実はガラス戸の内側にしかありえないという事実を、作者は淡々と、それでいてどこか悲しげに表現してみせたのではないでしょうか。
12月30日におうし座から数えて「ないもの」を意味する12番目のおひつじ座で上弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、そんな作者と同様、いま自身の手で触れえる「あるもの」のありがたみがフッと湧いてくることがあるかも知れません。
知覚の扉澄みたれば
作家オルダス・ハクスリーが自身で幻覚剤メスカリンを使用した意識変容体験記『知覚の扉』の巻頭には、神秘主義詩人ウィリアム・ブレイクの次のような一節が引かれています。
知覚の扉澄みたれば、人の眼にものみなすべて永遠の実相を顕わさん
メスカリンとはもともとペヨーテというサボテンの一種から取れる成分で、かつてのアメリカの原住民たちにとってペヨーテは極めて崇高な存在であり、まさに意識を未知の次元へと誘う「知覚の扉」だった訳です。
ただそうした古き共同体には、見知った世界を抜け出したいと急ぎ焦る若者に対して「お前はまだその準備ができていない」と釘を刺してくれる長老格が必ずいたものでしたが、今日の現代社会では、そのような緩衝材はほとんど機能しなくなりました。
だからこそ、他ならぬあなた自身が直接確認しなければならない。「本当に扉を開けるのか?」と自分の心をノックして、自分の世界がどこまで開かれ/閉ざされているのかを、体感していくのです。今週のおうし座は、‟それ”をこそ確かめていくことになるでしょう。
おうし座の今週のキーワード
視覚に頼らなければ、幻覚剤など使う必要はないのかも知れない