おうし座
平熱の無常感
「襖」な関係性
今週のおうし座は、「震度2くらいかしらと襖ごしに言う」(池田澄子)という句のごとし。あるいは、「親しき中にも礼儀あり」という言葉を地で行くような星回り。
夜も深まって家中が静まっていたところに、ぐらぐらっと揺れて、でも避難するほどでもないと目を覚ましがてらうっすら思う。隣室で寝ている家族(おそらく作者の夫でしょう)とは、襖(ふすま)ごしにほんの一言二言、声を掛け合うだけ。
震度2の地震という、ごく些細ではあるけれど、場合によってはそれがまかり間違って、やっとのことでぎりぎりの均衡を保っていた家庭や、あるひとりの追い詰められた人間の精神を崩壊させかねない程度の災難を、さらりとやり過ごす掲句の根底にあるのは、「襖」というごく日常的なモノの働きに表れている家族の距離感でしょう。
作者とその家族は、きっとふだんから適度な距離感を保って暮らしており、そうした関係性への気遣いを、互いの存在を完全にシャットアウトしてしまう“壁”でもなく、かといって余りにあけすけで無遠慮な様子になるほどさえぎるものがない空間でもなく、空気や声は程よく通しつつもさりげなくプライバシーも確保する「襖」が象徴しているのです。
同様に、24日におうし座から数えて「密室の関わり」を意味する8番目のいて座で下弦の月(意識の危機)を迎えていく今週のあなたもまた、親しい相手との関係性にこそ程よくさりげない距離感や風通しを心がけていくべし。
無常感にそっと寄り添う
村上春樹の初期作品『1973年のピンボール』に「無から生じたものがもとの場所に戻った。それだけのことさ」というセリフが出てきますが、これはその後の村上作品の主人公たちに通底していく根本情調でもあり、その時代の若者たちの心理を象徴するつぶやきでもあったように思います。
それは「未来」を先回りして否定的・消極的な結果を受け取っている「今」を生きている者の感覚であり、「どうせ」という言葉の語感にも近いものです。すなわち、「どうせ失敗する」であったり、自分もみんなも「どうせ死ぬ」というもの。
そこで思い描かれる未来は上昇曲線でもなければ水平的推移でもなく、どこまでも下降でありゆるやかな衰退に他ならず、したがって今はいつだって無常感において捉えられ、つぶやくごとにそれは哀感を帯び、やがてある時を境に“無常美感”とも言えるような甘美な自己憐憫に達していきます。
それは、不安や諦めをまぎらわしたり、忘れたりするのとは逆に、むしろいっそう深めて、純粋化し極限化していくことで、不安の深淵を確かめ、心の動揺を収束させていこうという心の自然な働きであり、どこか襖越しに不安を口にする掲句とも通じるものがあります。今週のおうし座は、そうした心の動きに過激に酔うのでも、無視して退けるのでもなく、ほどよく付き合っていきたいところです。
おうし座の今週のキーワード
無常美感